今の代表は「青筋立てて、応援する必要なくなった」 植田朝日が語る変わりゆく“W杯の価値” (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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今の代表は「青筋立てて、応援する必要なくなった」 植田朝日が語る変わりゆく“W杯の価値”

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山岡則夫dot.
W杯出場の夢が絶たれ、うなだれる選手とそれを慰めるオフト監督 (c)朝日新聞社/現在Youtubeで当時の激闘を振り返った映画『ドーハ1993+』と『ジョホールバル1997 20年目の真実』が無料公開中

W杯出場の夢が絶たれ、うなだれる選手とそれを慰めるオフト監督 (c)朝日新聞社/現在Youtubeで当時の激闘を振り返った映画『ドーハ1993+』『ジョホールバル1997 20年目の真実』が無料公開中

『ドーハ1993+』

『ジョホールバル1997 20年目の真実』

 植田朝日が監督を務めた2作品がYouTube上で無料公開されている。

 植田は93年Jリーグ創世記から『サポーター代表』のような扱いを受け、多くの影響力を発揮してきた。今でも多くの会場に足を運び、日本代表サポーター『ウルトラス・ニッポン』として応援を先導する。日本におけるファン・サポーター文化を作り上げてきた人物だ。

「サッカーが見られないこんな時期だから、サッカー好きはこの映画を探して見てくれるはず」

 日本代表が悲願のW杯初出場をつかむまでの紆余曲折。アジアを戦った戦士たちが自らの言葉で振り返る形式で構成された作品。93年アメリカ、97年フランス大会への出場をかけた死闘。『ドーハの悲劇』と『ジョホールバルの歓喜』の全試合をスタンドから応援し続けた植田が、選手たちに深く切り込んでいる。

「俺たちが戦った時代をしっかり残したかった。子供の頃、釜本邦茂はすごかった、と言われても実感がわかなかった。野球で言えば『長嶋茂雄、王貞治すごい』に若いファンは実感が湧かない。現在の巨人ファンなら、リアルタイムで見ている坂本勇人とかの方が、強く感情移入できる。だから本人たちの言葉を通じてわかりやすく伝えたら、多くの人が改めて興味を持つと思った」

 日本代表の躍進はJリーグ開幕直前の92年、ダイナスティカップ、アジアカップでの優勝から始まった。当時、海外留学中だった植田は応援のため帰国を決意。そこから日本代表を追い続け現在に至る。費やした時間は、選手との不思議な関係性をも作り出した。

「当時の選手とは『遠くも近くもない』関係。代表を見続け、時間も経って言いたいことも言える。聞けなかったことも今なら聞ける。逆に今の現役選手と話しても、ここまで突っ込んだ話はできないかな。同じ質問しても、それぞれの熱量が違うのも面白い」

『あの時』からサッカー界は大きく進歩した。日本代表は98年W杯初出場を果たす。02年には自国開催も経験し、今では本大会出場は当たり前となった。『Jリーグ百年構想』のもと、地域リーグなど下のカテゴリーも含め、サッカーは着実に根付いている。当然、代表とクラブの存在価値も変化している。


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