チーム別で目立つのがヤクルト楽天だ。ヤクルトはこの20年間で就任した監督6人のうち4人が二軍監督を経験しており、若松、真中の二人がリーグ優勝を経験している。90年代の野村克也監督時代が黄金期であることは間違いないが、それ以降も主力の流出が相次いでいる中でこれだけの結果を残しているのは立派だろう。若松、高津は球団の顔と言える存在だったが、小川、真中の二人はそこまでの実績は残しておらず、二軍での指導力が評価されて成功した例と言える。楽天も今年の三木監督で三人目の二軍監督経験者となるが、過去の二人は成功とは言い難い。特に平石は前年6位のチームを3位に浮上させるなど結果を残していただけに、もう少し指揮を執る姿を見てみたかったというファンは少なくないだろう。

 また上述した例とは外れるが、現在西武の監督を務めている辻発彦は中日で2007年から三年間、二軍監督を経験している。当時の中日は落合博満監督のもと黄金期を迎えていたため、二軍からの若手選手供給ではあまり目立たなかったが、三年間で二度チームをウエスタンリーグ、ファーム日本選手権の優勝に導いており、チームを勝たせるという意味では手腕を発揮していたと言えるだろう。

 その一方で巨人、DeNA、広島、中日、日本ハムの5球団は過去20年間では二軍監督から一軍監督になった例は出ていない。高橋由伸(巨人)、ラミレス(DeNA)、野村謙二郎(広島)、落合博満(中日)、谷繁元信(中日)、栗山英樹(日本ハム)などは正式なコーチを経験せずにいきなり監督となっている(臨時コーチ、独立リーグでのコーチは除く)。また、DeNAと日本ハムは生え抜きではない監督が多いというのも近年の特徴と言えるだろう。

 二軍監督を経て一軍の監督になるメリットとしては、チームの全体や将来像を考えやすいという点が挙げられるだろう。前述した阪神監督時代の岡田やヤクルトなどはこのメリットを生かして、上手く世代交代を進めていたということが考えられる。そういう意味では阿部がまず二軍監督に就任したというのも悪い選択ではなかったように考えられる。

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阿部慎之助には“不安要素”も…