ロッテ時代の小島弘務 (c)朝日新聞社
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 今年も各球団のキャンプ地では、佐々木朗希(ロッテ)、奥川恭伸(ヤクルト)ら期待のルーキーの話題で持ちきりだが、ルーキー時代のキャンプで、今も語り継がれる“伝説”をつくったのが、1999年、西武に入団した“平成の怪物”松坂大輔である。

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 キャンプ地・春野は初日から1万人を超えるファンが詰めかけ、お目当ての松坂が練習場を移動するたびに、約100人の報道陣やファンの群れがゾロゾロ。こんな調子では、移動もままならない。

 そんな松坂を守ろうと、森繁和コーチが知恵を絞り、“伝説の大脱出作戦”が行われたのが、球団史上最多の1万5000人が来場した2月14日だった。

 練習終了後、ブルペンの出口前で、ファンたちが松坂を待っていると、ブルペン横のプレハブから背番号18のユニホームを着た選手が走り出てきた。「松坂だ!」。約100人の報道陣が大慌てであとを追い、ファンたちも続いた。その後ろで投手陣が「大丈夫か? 一人で!」「頑張って走れ!」と声援を送るなか、背番号18は全力疾走で約800メートル離れた陸上競技場へと向かっていく。だが、“追っ手”たちが息を切らしながら陸上競技場に到着したとき、松坂の姿はどこにも見当たらず、背番号18のユニホームだけがトラックの上に脱ぎ捨ててあった。

 実は、松坂に成りすまして走っていたのは、3年目の谷中真二だった。思いがけず影武者に指名された谷中は「背格好が似てる? イヤ、(年齢の近い)小石沢(浄孝)は太っているんで、僕しかおらんかった」と説明。投手陣たちが声援を送っていたのも、周囲に本物の松坂と信じ込ませるための陽動作戦だったのだ。

“影武者”谷中が報道陣やファンを引き付けている間に、本物の松坂は、谷中のウインドブレーカーを羽織り、黒いサングラスと深めにかぶった帽子の変装姿で出口から現れると、堂々と帰っていった。作戦成功!「うまくいきました」と安堵した松坂だったが、影武者を務めた谷中には「本当に申し訳なかったと思います。やらされる先輩は絶対嫌だったと思うので」とすまなそうだった。

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新人を襲った突然の“悲劇”