その西武は、90年のキャンプでは、前年12月にドラフト外で入団した小島弘務が協約違反で球団との契約を無効にされる事件もあった。

 86年春、平安(現龍谷大平安)から駒大に入学した小島は、同年秋に中退し、1年のブランクを経て、社会人の住友金属に入社したが、大学中退ではなく、高卒選手として登録されたため、在籍2年目の89年のドラフトでは指名禁止リストに掲載されていた。だが、西武は、小島が高校を出て3年以上経過していることから、契約可能と解釈して、ドラフト外で入団させた。

 年明け後、背番号14を着けて2軍のキャンプに参加した小島は、阪神との練習試合にも登板。1軍昇格を目指し、練習に励んでいた。ところが、キャンプ終盤の2月20日、西武の“強行突破”を問題視したパ・リーグが「契約却下」を通告してきた。

 西武は小島を球団職員(練習生)にする妥協案を出したが、これも認められず、「移籍も含めて永久に西武とは契約できない」という厳しい処分が下る。キャンプ中にプロアマ問題のとばっちりでハシゴを外された小島は「どうしていいのか、自分ではわかりません」と途方に暮れた。

 そんな矢先、救いの手を差し伸べたのが、「小島に悪いことをした。絶対にまたプロに入れてやる」と決意した根本陸夫管理部長だった。「西武球団として面倒を見るのが駄目でも、オレが個人的に世話をするならいいんだろう」とコミッショナーに断りを入れたうえで、自宅に小島を下宿させ、一人で練習させたのだ。

 9カ月後のドラフトで中日に1位指名された小島は、1年目に先発、リリーフとして24試合に登板、6勝5敗の成績を残している。

 キャンプの練習後、ルーキー左腕がそばアレルギーで倒れる事件が起きたのが、04年のヤクルトだ。

 2月2日、浦添の1軍キャンプに参加していたドラフト6巡目ルーキー・佐藤賢が最後のメニューの3000メートル走を終えて、球場の風呂場で汗を流そうとした直後、突然めまいを起こして、その場にうずくまった。

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「運動前にはそばを食べません」