「これまで他大学の監督から『創大はまだ箱根駅伝をやっているのか』とさんざん皮肉を言われてきましたが『私が生きている間に、創大は箱根駅伝に出られないんじゃないか』と弱気になるときもありました。だれからも注目されない無名な駅伝部だった時代から、私たちはただ一点、『創立者をはじめ、全力で応援してくださる方々の激励に応えるために勝ちたい。箱根に出たい』という思いで戦ってきました」(「創価大学駅伝部 箱根への道2020」潮出版社)

 2020年で96回を数える箱根駅伝には、振り返ればさまざま大学が出場していた。なかには意外なところもある。いまでは箱根に出る機会に恵まれない、過去の出場校を紹介しよう。

 箱根駅伝の「主戦場」は神奈川県内である。地元の大学が走らないわけにはいかない、とばかりに、神奈川勢が頑張っていた時代があった。(カッコ内は出場年と回数)

*横浜国立大(1950~1956年 7回)。前身の一つである神奈川師範学校(1947~1949年 3回)
*横浜市立大(1954~1958年、1964年 6回)
*関東学院大(1994、1998、2000、2002~2004年 6回)

 首都圏の大学なら、箱根出場のチャンスはいくらでもある。

*成蹊大(1952年 1回)
*東京学芸大(1955~1961年、1984年 8回)
*埼玉大(1959年 1回)
*東京大(1984年 1回)
*平成国際大(2001年 1回)

 1984年、東京大が箱根駅伝に出場したときのメンバーには、現在、東京海上ホールディングスの常務執行役員の半田禎がいる。こう振り返っている。

「ちょうど私が入学した年、4年後の60回大会で出場枠が5校増えるかもしれない、という話があったそうなんです。それはチャンスじゃないか、ということで、4年後を目指して頑張ってみようじゃないか、となったんです」

「毎日20キロ走る練習をしていましたが、いつしか30キロになっていました。しかも、雨の日も雪の日も走る。正月もお盆もない。練習が休みの日は一日もないんです。でも、先輩たちはそれが当たり前だという環境を作ってくれた。文化を作ってくれたんです」(いずれもリクナビNEXTジャーナル、2019年5月13日)

 東京大は、「4年後」という計算高さと、体育会特有のムチャぶりが見事にマッチしたようだ。

 1980年代前半まで、関東地方の大学の数はおよそ150校だったが、2019年はおよそ250校になった。女子大を引いたとしても、およそ100校増えたことになり、箱根駅伝出場をめぐる競争率はかなり高くなった。東京大、東京学芸大、横浜国立大、埼玉大といった国立大学の復活はむずかしいが、まったくの夢物語というわけではないだろう。入試方式が多様化する昨今、優れた高校生を集めることができるかもしれない。また、関東学生連合に東京大の学生が入ったり、今回の筑波大メンバーに医学群の学生がいたり、成績優秀な学生でも箱根に挑む機会はあるのだ。

(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫)<文中敬称略>