10月の箱根駅伝予選会で、予選通過を決めて喜ぶ筑波大の選手たち (c)朝日新聞社
10月の箱根駅伝予選会で、予選通過を決めて喜ぶ筑波大の選手たち (c)朝日新聞社

 2020年、箱根駅伝で筑波大が26年ぶりに出場する。前回の出場は1994年だった。四半世紀の空白を埋めるため、筑波大は国立大学のスポーツ先端校として長いあいだもがき苦しんだ。

 2011年、「筑波大学箱根駅伝復活プロジェクト」を立ちあげた。そこに示されたミッションは壮大だ。

「本学の箱根駅伝復活プロジェクトは、東京高等師範学校出身の金栗四三翁によって構想された箱根駅伝の原点に立ち返り、粘り強さと創意工夫に富む筑波大学らしい学生育成の場として位置づけようとするものです」(筑波大学 箱根駅伝復活プロジェクトウェブサイト 2019年10月28日)

 筑波大の前身は東京高等師範学校である。第1回箱根駅伝で優勝している。当時の参加校はほかに明治大、早稲田大、慶應義塾大で、合わせて4校しかなかった。箱根駅伝に東京高等師範学校は8回、東京文理科大学と名前を変えてからは14回出ている。戦後、東京教育大に引き継がれ、1950年から1974年までに23回箱根を走った(1947~1949年には東京教育大へと統合される東京体育専門学校が3回出場)。筑波大に継承されてからは1994年まで14回出ている。

 筑波大はその起源から数えると、これまでの95回の箱根駅伝に59回出場したこととなる。大学の歴史を振り返ると古豪と言えよう。

 筑波大駅伝チームを率いるのは、弘山勉駅伝監督である。箱根駅伝には4年連続出場し、実業団で活躍したのち、2015年から筑波大で指導するようになった。今回、箱根駅伝出場は自信があったようだが、相当な覚悟をもって予選会に臨んでいた。箱根駅伝出場が決まったとき、こう記している。

「最後の調整練習を終えた10月23日。私は『予選突破できる』と確信した。正しい表現をするなら、確信ではなく、『この状態で予選突破できなければ、この先、どうすれば良いのか=路頭に迷うことになるじゃないか』という気持ちである」(同上)

 第1回箱根駅伝出場校でもう1校、長く箱根を走っていない大学がある。慶應義塾大だ。これまで30回出場し、1932年に優勝している。しかし、1994年に出場して以来、26年間、箱根はご無沙汰になった。毎年正月、三田会には「陸の王者を箱根で見かけないのはさびしい。野球もラグビーも強いのに何とかならないか」という声が寄せられるという。

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