河野匡(かわの・ただす)さん/1960年徳島県生まれ。日本陸上競技連盟長距離・マラソンディレクター。選手としても高校・大学と長距離障害種目で全日本制覇、3000m障害でアジア大会優勝など活躍。現在は大塚製薬陸上競技部部長、女子部監督も務める(撮影/写真・小山幸佑)
河野匡(かわの・ただす)さん/1960年徳島県生まれ。日本陸上競技連盟長距離・マラソンディレクター。選手としても高校・大学と長距離障害種目で全日本制覇、3000m障害でアジア大会優勝など活躍。現在は大塚製薬陸上競技部部長、女子部監督も務める(撮影/写真・小山幸佑)

早野忠昭(はやの・ただあき)さん/1958年長崎県生まれ。東京マラソン財団事業担当局長、東京マラソンレースディレクター。自身も陸上選手で、高校では800mでインターハイ優勝も。東京マラソンには1回目から携わってきた(撮影/写真・小山幸佑)
早野忠昭(はやの・ただあき)さん/1958年長崎県生まれ。東京マラソン財団事業担当局長、東京マラソンレースディレクター。自身も陸上選手で、高校では800mでインターハイ優勝も。東京マラソンには1回目から携わってきた(撮影/写真・小山幸佑)

EKIDEN NEWS・西本武司(にしもと・たけし)さん/駅伝を深く愛し、どこよりも細かく追う「EKIDEN NEWS」主宰。「オトナのタイムトライアル」など新しいレースの創設も。本業はコミュニティーFM「渋谷のラジオ」制作部長(撮影/写真・小山幸佑)
EKIDEN NEWS・西本武司(にしもと・たけし)さん/駅伝を深く愛し、どこよりも細かく追う「EKIDEN NEWS」主宰。「オトナのタイムトライアル」など新しいレースの創設も。本業はコミュニティーFM「渋谷のラジオ」制作部長(撮影/写真・小山幸佑)

 東京オリンピックのマラソン日本代表を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)が9月15日に迫ってきた。日本マラソン界史上初となるオリンピック代表選考レースは、なぜ生まれることになったのか。MGC実現に尽力してきた日本陸上競技連盟長距離・マラソンディレクター・河野匡さんと、東京マラソンレースディレクター・早野忠昭さんに、EKIDEN NEWSの西本武司さんが話を聞いた。(本文は一部、敬称略)

【早野忠昭氏と西本武司氏】

*  *  *

■従来の選考方法で、20年の東京オリンピックでメダルを獲得できるのか?

西本武司(以下、西本):日本陸連の強化担当という河野匡さんと、東京マラソンの大会運営側である早野忠昭さんはMGCの実現に尽力されてきたわけですが、この概念はどのようにして生み出されたのですか?

河野匡(以下、河野):私が2001~12年まで、長距離・マラソンの強化を担当してきた中で、08年の北京オリンピックで、今までの選考のやり方には限界があると感じていました。しかし、日本陸上界全体が踏み出す勇気がなかった。背景には、メダルを取ってきたという実績と成功事例があったからです。ただ、北京で惨敗して、12年のロンドンでは中本健太郎(なかもと・けんたろう)君の6位が最高、16年のリオはメダル0でした。
 
 その間の世界の情勢は、ケニアやエチオピアの相当なレベルアップがありました。国内のマラソン人気は維持しつつも、いざ世界に出ると戦えていない。それは強化関係者も見る側も思っていた。その中で東京オリンピック強化の責任者になり、同じ選考方法では20年の東京オリンピックでメダルを獲れと言っても、無理なんじゃないかと思っていました。

早野忠昭(以下、早野):僕の感覚はもっと前です。08年から惨敗している状況で、みんなの目的が「オリンピックに行く」ところで終わっているのではないかと。うちは「Abbott World Marathon Majors」の東京マラソンを主催していて、日本人が勝つか負けるかというよりは、速い外国人選手を招聘(しょうへい)し、グローバルなレースをミッションとしてやらなくてはいけない。そういう立場で、日本人が選考会のときだけ出てきて緊張して戦っている姿を見ると、「ターゲティングが間違っているのではないかな」と思っていました。

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