23ヘクタールに及ぶ築地市場の跡地は、2020年開催の東京五輪・パラリンピックで、選手たちの輸送拠点として活用される予定になっている。さらに都が19(平成31)年1月に示した築地市場跡地再開発の素案では、跡地を四つのゾーンに分けて、浜離宮恩賜(おんし)公園側に国際会議場・展示場や高級ホテル、中央部に集客・交流・研究開発施設、隅田川側にレストラン、晴海通り側に交通ターミナルを整備するなどとしている。

 築地市場と東京市場駅の開場は1935(昭和10)年。江戸時代から日本橋川のほとりに置かれてきた魚河岸が23(大正12)年9月1日の関東大震災で壊滅した。これを受けて当時の東京市は築地の海軍用地を借り受け、市場施設を開設。日本橋魚市場組合が芝浦の仮市場を経て移転してきたことが、「築地の魚市場」の起こりとなった。35年2月11日にまず青果部が開業、東京市場駅の開設もこの日とされている。次いで11月23日に魚類部が営業を始め、完全開業となった。築地市場の落成式は、12月13日に開かれている。

 トラック輸送が一般的でなかった時代、生鮮食料品の各市場への輸送は鉄道が一手に担ってきた。築地市場の開場より4年早い1931(昭和6)年11月、大阪市中央卸売市場本場が此花(このはな)区(現・福島区)に開場し、国鉄西成線(現・JR大阪環状線)野田駅から1.3(のち1.5)キロメートルの専用線を経て、大阪市場駅が開設されている。大阪市場駅のホームも有効長を延ばすため、「て」の字形に線路が敷設された。いったん「て」の上辺にあたる直線に入った貨物列車は、スイッチバックして半円形に設けられた長いホームに入り、荷を下ろしたという。大阪市は構内入換専用にドイツ・コッペル社から、2両の小型ディーゼル機関車を自前で購入したと伝えられている。

 名古屋市中央卸売市場本場(熱田区)にも貨物専用線(白鳥線)が延びていて、1957(昭和32)年2月1日に国鉄線に編入され、名古屋市場駅が正式に開業している。白鳥線は国鉄東海道本線貨物支線(名古屋港線)の八幡(やわた)信号場から、貯木場があった白鳥駅を経由し名古屋市場駅までの路線で、延長3.1キロメートル。名古屋市場駅のホームも緩やかなカーブ状に造られていた。貨物列車は配線の関係でいったん白鳥駅に入ったのち、2度のスイッチバックを繰り返して名古屋市場駅に入ったという。

 名古屋市場駅は1978(昭和53)年10月1日、大阪市場駅は東京市場駅と同日の84年2月1日に、それぞれ廃止された。このほか塩釜(宮城県)、百済(くだら=大阪市)、尼崎(兵庫県)など全国十数カ所の市場内に、「市場駅」を名乗る貨物専用駅が設けられていた。

次のページ
下関市から築地市場へ直行した鮮魚特急列車