1987年1月31日未明、旧東京市場駅構内で最後の貨物列車を見送る人たち(C)朝日新聞社
1987年1月31日未明、旧東京市場駅構内で最後の貨物列車を見送る人たち(C)朝日新聞社
上空から見た築地市場。特徴的な扇形の建物の円弧に沿って、貨物用の長いホームが設けられていた(C)朝日新聞社
上空から見た築地市場。特徴的な扇形の建物の円弧に沿って、貨物用の長いホームが設けられていた(C)朝日新聞社
1953年8月、「魚1番線」で冷蔵貨車から下ろされたばかりのマグロの競りを行う卸売業者(C)朝日新聞社
1953年8月、「魚1番線」で冷蔵貨車から下ろされたばかりのマグロの競りを行う卸売業者(C)朝日新聞社
銀座郵便局の近くに保存されている「浜離宮前踏切」の警報機(撮影/高橋 徹)
銀座郵便局の近くに保存されている「浜離宮前踏切」の警報機(撮影/高橋 徹)

 東京都中央卸売市場築地市場は2018(平成30)年10月6日、「都民の台所」としての役割を豊洲市場に譲り、1935(昭和10)年の開場から80年以上にわたった歴史を閉じた。再開発が進む築地市場跡には、開場から84(昭和59)年にかけてのおよそ50年間、場内に貨物専用の「東京市場駅」が設けられ、鮮魚や青果などの生鮮食料品を満載した貨物列車が直接乗り入れていた。35年前に失われた市場駅の歴史と名残をたどった。

【写真】上空から見た築地市場

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■鉄道ありきで開設された築地市場

 東京市場駅へと続く貨物専用線は、いまのJR新橋駅東側にあった貨物専用の汐留駅(1986年廃止)から延びる1.1キロメートルの路線で、東海道本線の貨物支線として造られた。東京市場駅は84年2月1日に廃止されたが、以降も線路とホームなどの施設は汐留駅の構内側線扱いとして残され、汐留駅が廃止される直前の86(昭和61)年10月には、汐留~旧東京市場間に臨時の記念客車列車が乗り入れたこともあった。また、汐留駅が廃止されたのちも翌87年1月31日まで、旧東京市場駅に出入りする貨物列車の運行は続けられた。

 築地市場を上空から見ると、建物の南東側が円弧状にカーブし、全体で扇形に造られている様子がよくわかる。これは、多くの貨車が停められるように長いプラットホームを設けたことによる。四角形の建物ではホームの有効長は一辺分しか取れないが、カーブさせることで二辺分に近い長さが使える。

 築地市場の建物の特徴的な構造は、「先に鉄道ありき」だった。「東京市場線」とも呼ばれた貨物専用線は、汐留駅の東端から南東方面に延び、汐留川・築地川を渡って築地市場に向かっていた。

■唯一踏切警報機のみが残る、市場への廃線跡

 汐留駅跡は2003(平成15)年以降、電通本社ビル(カレッタ汐留)や日本テレビタワーなどの高層ビルが立ち並ぶ「汐留シオサイト」に姿を変え、汐留川・築地川もほとんどが埋め立てられて道路となった。廃線跡の遺構は中央区銀座8丁目地内、銀座郵便局近くに保存されている「浜離宮前踏切」の警報機以外、何も残されていない。なお、説明板の表記には「銀座に残された唯一の踏切信号機」とある。

 踏切跡から築地川跡にあたる首都高速道路環状線上に架かる新尾張橋を渡って、浜離宮朝日ホールなどが入る築地浜離宮ビルの裏手に延びる幅の狭い通りが廃線跡になる。線路は朝日新聞東京本社ビルの南側で再び新大橋通りを横切り、市場内に入っていた。朝日新聞東京本社が有楽町から築地へ移転したのは1980(昭和55)年。以降の6年間あまり、鮮魚列車が長い「青果門踏切」で新聞輸送トラック群の間をすり抜けていく風景が見られた。当時は築地市場前の新大橋通りに沿って、たくさんの屋台も営業していた。線路が撤去されたのちも市場内のホームは、ほぼそのままの姿を保っていた。

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大阪や名古屋にもあった「市場駅」