このとき、八戸線の鮫~東京市場間の「東鱗(とうりん)1号」用にも最高時速85キロメートル対応のレサ5000形が新製され、三陸海岸に水揚げされた鮮魚を積んで、尻内(現・八戸)駅で新札幌からの急行貨物列車に増結された。これら鮮魚専用高速貨物列車は、1984(昭和59)年に「東鱗1号」、86年に「とびうお」、98(平成10)年に「ぎんりん」(後年は冷蔵コンテナ輸送)がそれぞれ廃止され、姿を消した。

「とびうお」など鮮魚専用貨物列車の“活躍”にもかかわらず、高速道路網の整備が進んだことや小回りが利くことなどから、鮮魚輸送は1970年代にはトラック輸送へシフトしていった。1両24t積みのレサ10000形・レサ5000形の巨大さが小口の利用者から、もてあまされるようにもなった。鉄道輸送もコンテナ輸送への移行が進み、築地市場における東京市場駅の存在価値は、次第に小さなものになっていた。84年、東京市場駅はついに汐留駅の構内扱いとなって廃止。86年には冷蔵貨車もすべて廃止されている。なお、さいたま市の鉄道博物館には、EF66形11号機とレムフ10000形10000号車が保存されている。

 旧東京市場駅への線路に最後の貨物列車が運行されたのは、国鉄分割民営化を2カ月後に控えた1987(昭和62)年1月31日午前0時30分着、折り返し2時30分発となる冷蔵コンテナ貨物列車だった。築地市場と国鉄の関係者は「築地市場最終列車を送る感謝の集い」を催し、空になったコンテナを引いて旧汐留駅へと向かうDE10形ディーゼル機関車1553号機を見送った。線路は間もなく撤去され、当時の姿を留めるものは銀座郵便局の西側、浜離宮前踏切跡に保存された踏切警報機のみとなっている。(文/武田元秀)