「ふと立ち止まった歩道でカセットテープが売られていました。その中にジャズの巨匠、サキソフォン奏者のウェイン・ショーターのアルバム『JUJU』があった。天の声だと思いました。そのカセットを$5で買って、シンガー名をJUJUにしました。ウェインにあやからせていただいた。そのカセット、家に帰って聴いたら、ジャケットはウェインの『JUJU』で、中身はジプシー・キングスでしたけれど」

 JUJUがニューヨークで暮らしていたのはデビュー後もふくめ10年以上。10代で日本を離れたことには理由があった。

「私には3歳違いの姉がいます。きれいで、勉強ができて、スポーツ万能で、とても優秀な姉です。そんな姉と私は幼少時から比較されて育ちました。それがとても苦しくて、家を出たかったんですよ。だれも身内がいない土地で、ゼロからスタートしてみたかった」

 何をやっても姉には勝てない。でも、妹には1つだけ、自信をもてるものがあった。

「歌です。歌だけは姉よりもうまかった。うちはちょっと変わっていて、大人たちが子どもの前でもかくさずに恋愛の話をする家庭でした。私が一番影響を受けた叔母は、若いころの大失恋の傷が癒えず、一生独身のまま死んでいく、と言っていました。それでいて、いつも新しい彼氏がいて、家に連れてきたり、私と3人で旅行へ行ったり。その叔母はよくグデングデンに酔って、越路吹雪の『恋ごころ』とか歌うんですよ。私も家族の前で歌謡曲を歌って、拍手をもらっていました」

 そんな思いを抱き、JUJUは18歳のときにニューヨークへわたる。それまでに体験したことのない居心地のよさを感じた。

「この街では人の目を気にしなくていいんだ。自分は自分のままでいいんだ。この街ならば、誰かと比較されずに新しい人生が開けるはず」

 根拠はなく、あくまでも感覚だった。

「ニューヨークって、実は下町気質で、温かい気持ちの人が多い街なんです。中途半端なやつは相手にされないけれど、自分の意志を持って頑張って生きている人間には、たくさんの人が手を差し伸べてくれる。差別がまったくないとは言わないけれど、それでもほとんどの場合、人種や、性別や、年齢を超えて、人としての私を見てくれます。起き抜けのドスッピンの顔で、Tシャツにショートパンツにビーサンでデリにいっても、Good morning, beautiful! と言ってくれる。夜になってばっちりメイクをしてドレスにヒールで出ていくと、Hey beautiful! You are gorgeous! と言ってくれる」

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ニューヨークの暮らしで自分を手に入れた