カルロス・ゴーン容疑者(前日産自動車会長)が逮捕されたという第一報には誰もが驚かされた。
ゴーン氏の悪行については、新聞やテレビで散々伝えられているので、ここでは省くが、これらが事実であれば、刑事事件とされても当然だ。また、刑事立件されないものも、民事上の責任を問われ、あるいは、社会的に厳しい批判を受けなければならない。そういう意味では、現在起きているゴーン・バッシングもある意味理解できる。(ただし、直近の報道によれば、有価証券に記載されていない多額の報酬を得ていたという当初の報道は正確ではなく、正しくは、不記載だとされた部分の報酬は退任後に支払われる約束になっていた可能性が極めて高くなっている。それが事実なら、約束されただけの金額をまだ受け取っていない段階で有価証券報告書に記載すべきかどうかという法律的な議論が出て来る可能性もあり、本件の行方はまだまだ分からないことだらけであることには注意が必要である)
では、ゴーン氏は、大手紙やテレビが報じるとおり、もともとカネの亡者だったのだろうか。
もちろん、そうだった可能性もあるが、注意しなければならないのは、彼は普通の日本人ではなく、世界を股にかけるプロ経営者だということだ。彼らの世界では、その是非はともかく、報酬の金額は、その人の価値を対外的に示す指標だと考えられている。安い給料に甘んじれば、その人の価値が低いことの証明になってしまうのだ。
それを前提にすれば、優秀な経営者が高い報酬を求めること自体は責められない。一方、ゴーン氏の高額報酬には、日本だけでなく、フランスでも批判が強かった。フランス政府もこれを問題視していたほどだ。つまり、高額報酬を隠したいという動機は、日本国内だけでなくフランス国内対策としての側面もあったのではないか。その過程で、自分は正当な報酬を支払われていない被害者だという意識を持った可能性もある。
そうした被害者意識が、本来もらうべき報酬をもらって何が悪いという開き直りとなり、だったら隠しても仕方ないじゃないかという安易な考え方へとつながったのかもしれない。