村田が「人生で一番辛い本塁打」を打ったのが、07年10月6日の広島戦(広島)。この日は、佐々岡真司の地元・広島での現役最後のマウンドだった。

 佐々岡が登板したのは、10対0と広島がリードした9回裏2死。対する打者は4番・村田。実は、対戦前に広島側から「展開(次第)では、真剣勝負だから、打ってもらって構わない」と言われていた。

 村田は1度もバットを振ることなく、4球を見送ったが、カウント3-1から5球目も高めのボール球。「四球じゃ面白くない。本塁打か三振かと思いました」と意を決してフルスイングすると、快音を発した打球は、左中間席中段に飛び込む36号ソロとなった。笑顔ひとつ見せずにダイヤモンドを1周した村田は、佐々岡の引退試合をぶち壊しにしてしまった申し訳なさから、「打って辛い本塁打でした。こんな本塁打を打ったことはない。生涯初めてです」と目頭を拭った。

 しかし、佐々岡は、「すいません」と頭を下げる村田に、「真剣勝負。打たれて吹っ切れたし、気持ち良かった」と笑顔で応じ、2人はガッチリと握手をかわした。

 村田は結果的にこの一発が生き、35本塁打のヤクルト・ガイエルに1本差で初の本塁打王を獲得した。だが、よりによって、シーズン最終戦がヤクルト戦となり、2四球と真っ向勝負を避けられたガイエルの無念を思い、「辛いっすね。こういう形で終わったから」と初タイトルの喜びも半減だった。

 それから3年後、村田の一発が、引退試合を“幻”にする珍事を誘発したのが、10年9月30日の阪神戦(甲子園)。

 この日は2度のVに貢献した捕手・矢野耀大の引退セレモニーが行われるとあって、試合の展開いかんによっては、矢野が現役最後のマスクをかぶる予定だった。

 2点をリードした阪神は、9回から守護神・藤川球児が満を持して登板。2死を取ったところで、矢野が出場し、“黄金バッテリー”で最後の打者を打ち取って勝利する――。虎ファンにとって感動のフィナーレが実現間近だった。

 ところが、「自分をここまで上げてくれた一番の方」と尊敬する先輩の花道出場を意識し過ぎたのか、藤川は先頭の松本啓二朗を2球で追い込みながら、フルカウントから四球。内川聖一にも四球を与え、無死一、二塁のピンチを招いてしまう。

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矢野の引退試合が幻に…