撤去作業で変死続き… 羽田空港にある「のろいの鳥居」とは? (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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撤去作業で変死続き… 羽田空港にある「のろいの鳥居」とは?

連載「あなたの知らない神社仏閣の世界」

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2018年お正月時の大鳥居。鳥居自体が祈願所となっている

2018年お正月時の大鳥居。鳥居自体が祈願所となっている

「穴守稲荷」明治42年出版の「最新東京名所写真帖」より(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)

「穴守稲荷」明治42年出版の「最新東京名所写真帖」より(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)

穴守稲荷神社の奥の宮(お穴さま)へと続く千本鳥居

穴守稲荷神社の奥の宮(お穴さま)へと続く千本鳥居

 この時、社殿や鳥居なども撤去されたのだが、門前に建った赤鳥居だけは撤去できなかった。最初はロープで引き倒そうとしたが、ロープが切れ作業員が怪我をした。続いて工事責任者が病死するなど変事が続いたことから、「穴守さまのたたり」といううわさが流れ、撤去を断念した経緯がある。

●半世紀も移転できず

 結局、1952年にGHQから空港が返還されたのちも、この鳥居は1999(平成11)年までの半世紀以上にわたり羽田空港の真ん中に立ちつづけた。羽田空港は1998年に暫定的ではあるが国際空港としての役割が加わったこともあり、空港全体としての開発が急務となっていたのである。空港駐車場の真ん中にそびえる鳥居は、移転の必要に迫られていたのだ。時代の要請もあり、氏子たちによる丁重な祈願ののち、ようよう鳥居は現地に移された。とはいえ、現在地も羽田空港の敷地の中であり、穴守稲荷神社と関係があるような位置関係にはない。今でもこの地を訪れた人は「どこにお宮があるの?」と疑問に思われることだろう。なにしろ鳥居の向こう側には、飛行機の離着陸場が見えるだけである。

 この「のろいの鳥居」の移転が完了してから、羽田空港は大きく飛躍した。2004年に第2旅客ターミナルビルが、2010年には国際旅客ターミナルビルの運用も始まっている。別説として元々鳥居にのろいなどなく、自ら開拓した土地を奪い取られた羽田の人々の意地が、鳥居の移転を阻んでいた、とも言われている。半世紀が経ち、成田空港の状況を見て、羽田の人々が空港の発展が大事という考えに変わっていったのだと読み説く。どちらにしても、羽田という比較的新しい土地にも、苦しい歴史があったという事実だけは知っておくべきだと思う。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)


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鈴子

昭和生まれのライター&編集者。神社仏閣とパワースポットに関するブログ「東京のパワースポットを歩く」(https://tokyopowerspot.com/blog/)が好評。著書に「怨霊退散! TOKYO最強パワースポットを歩く!東東京編/西東京編」(ファミマ・ドット・コム)、「開運ご利益東京・下町散歩 」(Gakken Mook)、「山手線と総武線で「金運」さんぽ!! 」「大江戸線で『縁結び』さんぽ!!」(いずれも新翠舎電子書籍)など。得意ジャンルはほかに欧米を中心とした海外テレビドラマ。ハワイ好き

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