準々決勝の近江戦は、秋田県内の瞬間最高視聴率が66%に達した。ある農業関係者は、この試合で吉田投手が小フライになったバントをわざとワンバウンドさせてダブルプレーにしたことや、高橋選手のサヨナラ2ランスクイズを見て「自然環境を相手に常日頃から『想定外』を頭に入れながら学んでいる農業高校ならではのプレー」と評した。大会期間中も「あきたこまち」を食べながら体力を守ってきた選手たちに、秋田のみならず、全国の農業関係者が自らの経験を重ねながら熱い視線を送っている。


 
 金足農のある秋田市の金足地域は、「秋田の二宮金次郎」とも呼ばれている明治時代の農村指導者・石川理紀之助の生誕の地でもある。「俺は農民だ。農民が農民を助けないで誰が助けると言うのだ」と言って生涯を貧民救済に捧げ、現在も「農聖」と慕われている石川は、旧制秋田中学(現在の秋田高)が1915年8月に準優勝した第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園)が閉幕した翌月に亡くなった。
 
 それから103年。時代は変われど石川の精神を受け継ぐ「地元愛」と「農業愛」にあふれる若者たちが、日本中を沸かせている。全力熱唱で話題になった校歌の歌詞「農はこれ たぐひなき愛」の叫び声は、甲子園決勝の舞台でも響くのか。
 
(AERA dot.編集部・西岡千史)