そんな母のようすをみて「とんでもないことをしてしまった」と私は後悔しました。

 そこからが不登校やひきこもりである自分を偽って、生きづらさをエスカレートさせていく時期が始まります。

 必要以上に外出をくり返し、「早く社会復帰したい」と言い続け、アルバイトに何度も挑戦しては挫折しています。挫折して動けなくなると、はいずり回るようにして生活する日もありました。ストレスによるポリープが体にいくつも見つかったこともあります。

 毎日、どうしようもないくらい不安で、自殺したい気持ちが日に日に大きくなって「死」がとても近くに来ているのも感じました。

――かなり苦しい時期ですね。

 いまふり返れば苦しい時期だったと思いますが、自分の苦しさよりも私が気にしていたのは母の顔色です。挫折するたびに「こんなにがんばったんだから」と思いながらも「また悲しませてしまうだろうか」と母の反応を見ていました。

 そういうことを10年ほどくり返し、疑問に思ったことがあります。

「私は誰のために生きているのだろう」と。私が私自身に抱いた、初めての疑問でした。

 その後、母に対する憎しみが生まれ、衝突が始まります。感情的に「私はお母さんのせいで苦しかった」と母を責め、責めたことによる自己嫌悪に苦しむ。その苦痛を紛らわすため、また母を責める。そんな悪循環で母娘ともどもボロボロになりました。

 ある日、「疲れたから休みたい」と母に言ったことがあります。初めての本音でした。それを言えた瞬間、ようやく肩の荷が降りたような不思議な感覚を持ったのを覚えています。その一言ですべてが変わったわけではありませんが、その日からベクトルが変わっていったのはたしかだと思います。

――ご結婚されたのは、そのあとのことですよね?

 そうです。気持ちの整理が少しできたとはいえ、物理的に母とは離れようと思っていたところ相手が見つかり結婚しました。

次のページ
働けない自分をさらし、生存かけて婚活する人も