――なるほど。それではまずひきこもりのきっかけとなった不登校の経緯を教えてください。

 HSC(ひといちばい敏感な気質の子ども)だったのは理由のひとつです。多くのHSCと同様に、私も大声や物音からダメージを受けます。とくに先生の怒鳴り声や生徒の騒ぐ声は本当に苦手です。なので小学校に入ったころから「キツイ」とは感じていました。

 一方、小学3年生のころから両親の意向で中高一貫校の受験勉強を始めました。塾にも通いましたが成績は乏しくなく、見かねた母に付きっきりで教えられました。そのかいあってか第一志望に合格しています。でも、いざ入学してみると進学校の授業スピードは早く、瞬く間に私は落ちこぼれました。

 それからは先生に嫌味を言われ、同級生にバカにされる日々でした。学校に居場所がなく、つらく感じることも多かったのですが、母を「悲しませたくない」と思い相談はできませんでした。母を悲しませることが何よりも怖かったんです。

 それでも限界が来たのが高校2年になるころ、疲れはてて不登校になりました。

――さきほど「苦しかった理由の背景」として母との関係をあげていましたが、親子関係が悪かったわけではないんですね。

 表面的な「関係の悪さ」ではなく、関係が近すぎて息苦しかったんです。

 私は、両親の結婚13年目に生まれた一人娘です。物心がついたとき、母はすでに私の「体の一部」みたいな存在でした。母は常に隣にいて、私が困ったときには「こうすればいいのよ」とすぐにアドバイスをくれました。

 ずっと母を「完璧な人間」だと思っていました。母に言われたことを信じ、そのとおりに行動してきました。そこに安心感を得る一方で息苦しさを感じ、さらには自分勝手なことをして失敗したら、母に「見捨てられる」という恐怖感も感じていました。

 おかしな関係性が顕著になったのは不登校になってからです。不登校になってからの母の狼狽ぶりはすさまじいものがありました。母は何冊もの不登校の本を読み、病院やカウンセリング、気分転換の旅行など、あちこちに私を連れて行きました。しかし私のことで悩むあまりに食事も喉を通らなくなり、ガリガリに痩せ、笑顔が消え、衰弱していきました。

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ひきこもりを偽り「死」がすぐ近くに