2010年のドラフト会議。ソフトバンクは左打者の獲得を重要命題に置いていた。1位の習志野高の捕手・山下斐紹(現・楽天)も左バッター。続く2位の入札。最終リストには、4人の名前が記されていたという。ソフトバンクのスカウト陣は「秋山翔吾」と記そうとした。
その直前だった。
「この中で、一番飛ばすのは誰なんだい?」
会場のテーブル席でそう尋ねたのは、球団会長の王貞治だった。
「この柳田ですね」
そう答えた当時スカウト部長だった小川一夫(現・2軍監督)は、柳田を見たときの強烈な印象を忘れられないという。
「体もすごい。飛距離もすごい。肩もすごい。なんで、こんな選手がこのリーグにいるんやと、正直思ったよ」
広島経済大。中央球界では、決して名が通っているわけではない。広島六大学という地方リーグにいた「原石」ともいえる素材に「ホント、ビックリした」と小川はいう。
秋山翔吾に関しても、横浜創学館高時代、ソフトバンクは下位指名ながら獲得を検討していたという。八戸大で成長を遂げ、西武でも2015年、イチローのシーズン安打記録を抜く216安打を放ち、昨季は首位打者。今を思えば、どちらでもよかった。というより、ソフトバンクのスカウティングが、いかに優れているかの証拠でもあるだろう。
王の“鶴の一声”で、柳田はホークスへと導かれた。
2011年の宮崎キャンプ。そのけれん味のないフルスイングに、王は「彼は触らなくてもいい」とうなった。「背骨がギシギシいうくらい、思い切り振るんだ」。その王の教えを受け継いだのが、秋山幸二(元ソフトバンク監督)であり、小久保裕紀(前日本代表監督)であった。
キャンプで、全体練習が終わる。すると、柳田のロングティーが始まる。コーチが上げるトスを、外野席に向かってはじき返す。投球のように反発力がないため、スタンドインするのは至難の業だ。
「100本行きます」
スタンドインさせるまで、終わらない。
「フルスイング、絶対に忘れるなよ」
小久保が現役を引退する時、柳田に自らの背番号「9」を譲ったのは、ホークスに脈々と伝わっている、その「王イズム」を受け継ぐ男と見込んだからのことだ。