四国アイランドリーグ開幕前の記者会見で抱負を語る徳島・石井監督 (写真提供・喜瀬雅則)
四国アイランドリーグ開幕前の記者会見で抱負を語る徳島・石井監督 (写真提供・喜瀬雅則)
四国アイランドリーグ開幕前の記者会見で勢ぞろいした4球団の監督たち。右から徳島・石井監督、高知・駒田監督、香川・西田監督、愛媛・河原監督 (写真提供・喜瀬雅則)
四国アイランドリーグ開幕前の記者会見で勢ぞろいした4球団の監督たち。右から徳島・石井監督、高知・駒田監督、香川・西田監督、愛媛・河原監督 (写真提供・喜瀬雅則)

「投げる金剛力士像」

 西武一筋14年。石井貴の闘志あふれる投球スタイルは、そう称された。そして、松坂大輔が西武でプレーした8年間は、石井の現役生活にそのまま重なってもいる。

 その“出会いの衝撃”を、石井は今も忘れない。18歳の松坂がプロ野球選手として初めてのキャンプインを迎えた、その日のことだった。

 1999年2月1日。

 西武は当時、高知・春野でキャンプを行っていた。高知市内の宿舎ホテルから球場まではバスで20分ほどの道のりだ。

 移動のための、ちょっとしたその時間。音楽を聴く選手がいる。窓の外をぼんやりと眺め、リラックスする選手もいる。過ごし方は人それぞれだろう。

 そんな時だった。石井の目に、見たことのない光景が映った。

「そんな選手、いなかったんですよ」

 松坂が熱心に新聞を読んでいた。

「それも、日経です」

 日本経済新聞。ビジネスマンの必読紙とでも言おうか。松坂はバスの中でその「日経」を読んでいたのだ。

 高卒ルーキー、そのキャンプ初日。緊張感のかけらもないどころか、落ち着き払って活字を丹念に追っていたのだ。

 なんだ、こいつは?

「この人、すごい。そう思いましたね。政治とか学ぼうとしてたのかな。その時点でもう、違いますよね」

 石井は1993年ドラフト会議で1位指名を受けた。社会人の三菱重工横浜からのプロ入りだった。

「僕、社会人出身ですけど、それまで日経なんか読んだことなかったですよ。でも、松坂は高校からプロに来て、いきなり日経。それが毎日でしたからね」

 野球やスポーツに直接関係するような情報は、確かに少ない。ただ、ヒントは詰まっている。企業家の経営論がチームの組織論につながっていくかもしれない。売れている商品や食べ物の情報が球場に足を運んでくれるファン気質を理解する、その一助になるかもしれない。

 何が、どう、関連するのかは分からない。それでも松坂は常に新しい何かを追い求め、自分のものにしようとしていた。

 石井は「自分が恥ずかしくなった」という。

「大輔は何かと勉強熱心だったんですよ。球種なんかでも、そんなにいらないくらい、たくさん持っているんですよ。でも、どこからか、メジャーの新しい球種を調べてきて、その握りで投げたり、チャレンジしたりね。そういうのが今になって、生きてきているんじゃないかな」

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輝かしい時代をともに過ごした2人