1999年、鮮烈なデビューを飾った松坂は16勝をマークして、新人王、最多勝、ベストナインと、タイトルも総なめにした。実はその年、石井も自己最多の13勝を挙げた。

 松坂がアテネ五輪に出場した2004年、石井は右肩痛の影響によりシーズンでは1勝に終わりながら、中日との日本シリーズで2勝。13イニング無失点の快投でシリーズMVPに輝いている。

 2人はまさしく、西武で輝かしい時代をともに過ごしてきた。そして、年の差を超えてウマも合ったようだ。

 9歳年上の兄貴分は、プロでのしきたりはもちろん、先発投手としての調整法、はたまた、ファンに囲まれる松坂をボディーガードしたり、焼き肉の焼き方に至るまで、公私にわたり、弟分の生きざまと成長ぶりを間近に見てきた。

 だから、松坂も石井を慕っていた。心の内を隠す必要もない。石井に語る思いは、松坂の「本音」でもある。

「昔ね、大輔に、こんなこと聞いたことがあるんです」

 石井が明かしてくれたのは、若き松坂が語っていた“引退観”だった。

「僕、引退というとき、150キロを出せて、その余韻があるときに、そのまま引退したいんですよね」

 西武、そしてメジャーで幾多の栄光を築きながら、日本復帰後は昨季までのソフトバンクでの3年間で1軍登板がわずか1試合。右肩、右肘にもメスを入れた。

「理想とは、かけ離れてきたけどね」

 全盛期の姿を、そして、その時の心の内も知る石井にとって、松坂の『今』はどう映るのだろうか。

「なんか、力一辺倒で押してきたピッチングから、かわすというのじゃないけど、力勝負ができない分、カットボールとかツーシームとか、いろいろと投げて、新しい松坂というのを感じますね。力が落ちてきたというのじゃなくて、いろいろなボールを駆使して投げる。その技術を米国で学んできたんでしょうね。日本で対応できているし、攻めの姿勢は全く変わらないですもんね」

 中日での初先発となった4月5日の巨人戦(ナゴヤドーム)は5回3失点。同19日の阪神戦(ナゴヤドーム)は7回2失点。2試合とも、石井は「見ましたね」。

 その123球を投げた阪神戦に、石井は後輩の“変わらぬスタイル”を感じたという。

 6回終了時で101球。なのに松坂は、7回もマウンドに向かった。

「100球以内で、それでチームが勝てばいいのに、123球だからね。あの人、基本、投げたがりだからな。なんでだろうね? 投げるのが、ただ好きなんでしょう。投げて、それで腕を強くするとか、そういうのじゃなくてね、投げるのが好きなんですよね」

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石井も新たな戦いの舞台へ