90年代に千葉ロッテなどで活躍した小宮山悟はMLB移籍も果たし、現地で「和製マダックス」の異名をとった。晩年は魔球「シェイク」を開発するなど、頭脳派投手として知られた。同時期にオリックス、MLBで活躍した長谷川滋利や自身最後のオールスターで武器のスローカーブで勝負した三浦大輔(横浜)、近年では中日の吉見一起やオリックスの金子千尋なども、絶妙な制球力と卓越した投球術が光る投手だ。

 投球術を語る時、忘れてはならないのが「軟投派」の存在だ。左投手に多いこのタイプで、70年代に活躍したのが安田猛(ヤクルト)。小柄なサイドスローの安田は、ストレートの球速は130キロ台そこそこだったが、緩急自在の投球術とNPB記録の1シーズン81イニング連続無四球という抜群の制球力で、あの王貞治も苦手とした投手だった。80年代後半から90年代に阪急、オリックスでエース級の活躍をした星野伸之は、スローカーブを捕手が素手で捕球したという逸話を持つ。130キロ台のストレートを速く見せる変化球の使い方や、テイクバックの小さいフォームで打者を幻惑した。

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