紀勢本線栃原(とちはら)駅の朝。右側の列車は松阪方面への高校生でいっぱい
紀勢本線栃原(とちはら)駅の朝。右側の列車は松阪方面への高校生でいっぱい
踏切名の由来である「馬鹿曲」のルート図。赤線で示された旧道がかつてバカに曲がっていたことがわかる
踏切名の由来である「馬鹿曲」のルート図。赤線で示された旧道がかつてバカに曲がっていたことがわかる
ついにたどり着いた馬鹿曲踏切は雨に煙っていた
ついにたどり着いた馬鹿曲踏切は雨に煙っていた
今回紹介した踏切周辺の地図
今回紹介した踏切周辺の地図

 踏切の名称に惹かれて何十年の、いわば「踏切名称マニア」である今尾恵介さんが、全国の珍名踏切を案内してくれる連載。今回は「馬鹿曲」踏切を紹介します。

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 三重県の伊勢山中にカーブした単線。旧街道が横切る小さな踏切にいい具合に列車が近づいてくる。紀勢本線のこのあたりは非電化だから撮影の邪魔になる架線柱もなく、曲線で格好のアングルが得られるため、この踏切は隠れた撮影名所だという。私は「撮りテツ」ではないので、そちらはその道の専門家に任せるとして、興味を持ったのがこの踏切の名前である。

 馬鹿曲踏切。「ばかまがり」と読むそうだが、一体どんな由来があって、そんなとりつく島もないような命名をしたのだろうか。紀勢本線のカーブが馬鹿な曲がり方をしているとは思えないが(半径300メートルのふつうの曲線)、旧街道をざっと見てもそれほど葛(つづら)折れの峠道というわけでもなさそうだ。まずは現地へ行ってみよう。

 松阪の宿を朝早く出て乗った新宮行き普通列車はステンレスに橙色の帯(ここはJR東海の領域)を巻いた気動車だった。7時半頃到着した栃原(とちはら)駅では、高校生をたくさん乗せた松阪方面へ向かう列車と行き違った。まさにローカル線のゴールデンタイムである。改札のない出口を抜けて振り返ると、想像していた木造駅舎ではなく、まだ新しい小さな駅舎だった。駅前の通りをまっすぐ進めば、すぐに旧街道に出る。この道は国道42号の旧道、野街道である。件の踏切はこの旧道が線路と交差する場所に設けられているので、この道を迷わず進めばいい。

 細道ではあるが、どことなく歴史の積み重ねを感じさせる道は、あまり自動車も通らないので落ち着いて歩ける。栃原駅の近くで小学生の登校風景に遭遇してから後はまったく人に出会わない。雨がしょぼしょぼ降っているのは残念である反面、遠くの山に霞がかかって神さびて趣ある雰囲気になっており、これもまた得難い。

 途中で水準点の標識を見つけた。この下には標石が設置されている。水準点というのは土地の高さを測るための石(金属標もあり)で、国土地理院が管理する重要な基準点だ。明治以降に主要街道に設置されたもので、そんな経緯から旧道沿いに目立つ。また地形図には必ず表記されているので、現在地の確認にも便利だ。

 線路にぴったり沿って少しずつ下り坂を進んでいくと、「バカ曲がり」の案内標識が建てられている。標識はかなり新しいので、設置は熊野古道が世界遺産に登録された後だろうか。次のように由来が記されていた。

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今尾恵介

今尾恵介

今尾恵介(いまお・けいすけ)/1959年神奈川県生まれ。地図研究家。明治大学文学部中退。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。音楽出版社勤務を経て、1991年より執筆業を開始。地図や地形図の著作を主に手がけるほか、地名や鉄道にも造詣が深い。主な著書に、『地図で読む戦争の時代』『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』(白水社)、『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)など多数。現在(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査

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