第75期将棋名人戦での佐藤天彦名人 (c)朝日新聞社
第75期将棋名人戦での佐藤天彦名人 (c)朝日新聞社

 いよいよ佳境を迎えている第75期名人戦。佐藤天彦名人は、将棋という孤独な戦いのうえでは、「投了(=負けましたと告げること)」よりも、苦しい瞬間があるといいます。著書『理想を現実にする力』の中で、昨年の羽生善治氏との名人戦第二局を振り返り、そんな絶望ともいえる瞬間、そしてそれを乗り越える方法を語っています。

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 名人戦は二日間をかけて戦います。二日目の夕方には終盤戦の佳境に入り、そこで羽生さんが指された攻めの手に、私は「ここで受けなきゃいけないのか」と唇を噛みました。

 それは、私が確実に負けに近づいていることを知らしめる手でした。

 受けなければいけないということは、負けへのルートが敷かれたということです。将棋は、投了を告げる瞬間よりも、「この将棋はもう勝てない」と思ったときが一番苦しい。そんな瞬間が近づいてきているような気がしました。

 途中一時間の持ち時間の差をつけられ、やがて私は九時間あった持ち時間を使い切り、一手一分未満で指さなければいけない状況になります。形勢が悪いうえに時間もない。攻めても攻めても立ちはだかる羽生さんの守りは強靱で、それでも私は細い希望の糸を紡ぐように駒を打ち込んでいきます。

「厳しい。負けるかもしれない」と思った直後に、「いや、もうちょっとやらなきゃ」と自分を立て直す。そんな揺らぎを繰り返しながら、半ばあきらめの境地とも言えるほどに、一手一手を指し継ぎました。

 羽生名人は投了されました。

 決着がついた直後の対局室は、重い空気に包まれています。それまで死力を尽くして戦っていたので、いきなり平素の状況には戻れません。

「この将棋が勝てたのか」と半ば呆然とする一方で、負けた相手の感情も痛いほどわかります。この時間はいろいろなことが生々しすぎるのです。

 主催社の記者のインタビューをきっかけに局面の検討をはじめました。その結果、私の玉に詰みがあったことが判明しました。つまり、羽生さんが詰みを逃したのです。

 詰みがあるというのは、いうまでもなく勝ちがあったということです。それを名人の羽生さんが逃すとは、とかなり話題を集めました。結果的に第2局から私が四連勝して名人を奪取したということもあり、「あの詰み逃しがシリーズの流れを変えた」という論調をいくつか目にしました。

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