山本美香さん (c)朝日新聞社
山本美香さん (c)朝日新聞社
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 2012年8月20日。シリア内戦取材中、凶弾に倒れた女性がいる。ジャーナリストの山本美香さん(享年45)。国内で報道記者を経てからイラクやチェチェンなど世界の紛争地を取材し続けた。山本さんと公私を共にしたパートナーでジャーナリストの佐藤和孝さんは6年経った今も、「戦場取材をやめようと思ったことは一瞬もない」と言い切る。内戦が続くシリアでは、現在、ジャーナリストの安田純平さんが反体制派の武装勢力に拘束されている。なぜ、ジャーナリストは危険を冒して戦場へ行くのか――。山本美香さんの七回忌を前に、佐藤さんに話を聞いた。

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 山本さんが初めて紛争地を訪れたのは、1996年11月のアフガニスタン。佐藤さんと共に取材活動を始めた。その動機を自著『中継されなかったバグダッド』(小学館)の中で、こう語っている。

「なぜ、戦地に向かうのか。自分でもはっきりとした答えがあるわけではない。最初のきっかけは、アフガニスタンの女性たちの生活を見たいという単純な好奇心からだった。人々がなぜ家を追われ、難民になってしまったのか、その答えを求めて最前線にも足を運ぶ」

 アフガニスタンでの取材以降も、山本さんは佐藤さんと2人で紛争地取材を続ける。山本さんの目線は常に取材対象に寄り添い、女性や子どもが生きる姿を多く伝えてきた。当時のアフガニスタンは「タリバン」が影響力を強め、情勢が極めて不安定だった。その状況下で、日本人女性として初めてタリバン支配下のアフガニスタンを取材。また、当時、外を歩くことすら禁じられた現地の女性の声を集め、その素顔を世界に発信することに成功する。2003年には「ボーン・上田記念国際記者賞特別賞」を受賞。ジャーナリストとして戦地を駆け回る印象が強いが、意外にも山本さんは「普通の人」と佐藤さんは言う。

「ああいう現場で取材をして、銃弾を受けて死ぬわけだけど、何か突出して使命感があるとか、パワーがものすごいとか、そういう人じゃない。普通にお茶目な女性だよ。どちらかというと外面は良いほうだったけどね(笑)。とても明るくて、一本の芯が通っていて、曲がったことが大嫌い。そんな人間だったかな」(佐藤さん)

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戦場取材の原点は「怒り」