「警戒態勢は解いていないけど、あの現場では危険度のレベルがある種下がった感じがした。それを油断と言うのか、逢魔が時と言うのか。人生では不測の事態が起こる。ましてや自分たちの意思で行った現場。そこで死ぬことは本望なのかな?」
カエルが好きだったという山本さん。そこに込められた思いは、「必ず帰る」。今も玄関のドアには、カエルのマグネットがついている。
「こういう仕事をしているけど、『畳の上で死のうね』と二人で話していた。僕たちの仕事は家を一歩出て、帰ってくるまでが仕事だからね、と」(佐藤さん)
山本さんが亡くなって6年が経った。佐藤さんは今でも「守ってあげられなかった」という思いがよぎる。「美香に『冗談じゃないわよ』って言われるかもしれないけど」と苦笑いを浮かべるが、「毎年8月が来ると、たまんないね。たまんないよ」。そう繰り返す。
シリアの暑い夏を思い出し、フラッシュバックすることもあるという。しかし、この6年間、佐藤さんは変わらず戦場取材を続けてきた。自分の半身をもぎり取られるような思いをしても、戦場へ行くことへのためらいはなかったのか。
「やめようと思ったことは一瞬たりともない。同じことを色んなところで聞かれるけど、質問を受けるまで一度も考えたことがなかった。だって、僕たちは人の生き死にを取材してきて、悲しみや苦しみを伝えてきた。いざ自分たちがその立場に置かれたときに仕事を捨てるっていうことは、今までやってきたことが嘘っぱちだよ。それだけはできない。もしそれをやったら、美香だって『あんた何やってんの』って怒るよ。逆の立場だったとして、美香も絶対続けるよ」
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のレポートによると、2017年に紛争や暴力、迫害で移動を強いられた人の数は約6850万人。その人数は5年連続で増加しているという。山本さんは著書『中継されなかったバグダッド』のあとがきにこう記している。