ちょっと前に、「あだ名禁止」の小学校が増えているという記事を読んだ。あだ名はいじめにつながるという理由で、男女ともに「さん」づけで呼ぶことにするという新ルールがあるらしい。うーん、なんか寂しいなあ。たしかにあだ名のいくつかはネガティブなものがあるかもしれないが、人間同士の距離を急速に縮めたり、特別な自分たちだけのあだ名を付けあうことは、楽しいことでもあるのに。禁止されたって、根本的に止めることはできないし、さらに陰口的に呼ぶなどして陰湿な二重構造を招く気もするのだが。苗字プラス「さん」、だけだなんて、なんだか味気ないように思うのは私の感覚が古いのか、甘いのか。
そういう私には現在いくつかのあだ名がある。まず「ペコ」もしくは「ペコマル」というのは、死んだ白川道(とおる)が一緒に暮らした18年間、私をそう呼び続けたあだ名だ。「不二家のペコちゃんみてーな顔してんな。俺は今日からナカセくんを『ペコ』って呼ぶから」。付き合い始めてすぐにそう嬉しそうに宣言された。そして、白川道のトオルという響きと、「うちのオトウチャンが……」の大屋政子さんリスペクトを混ぜ合わせ、私は彼を「トウチャン」と呼ぶことにした。寺山修司曰く「自分たちにしか通じない言葉を話すのが恋人同士だ」ではないが、自分たちだけの呼び名を持つのも恋人同士だと、私は常々思っている。今は亡き作家の北杜夫さんも、それにならって私を「ペコ、ペコ」と呼んでくれたものだ。北さんやトウチャン亡きあと、私を「ペコ」と呼ぶのは北さんの一人娘のコラムニスト斎藤由香さんと、トウチャンと親しかった会社の上司の2人だけになってしまった。もしこの先誰一人この名で呼ばなくなったとしても、永遠に忘れられない一番思い入れのあるあだ名である。
ほかにも、なかなかインパクトのあるあだ名がある。「オバはん」というのは、私が37歳で月刊誌「新潮45」の編集長に就任したときに、博覧強記で知られる仲良しの文芸評論家の福田和也さんがあまりにも無知蒙昧な私を心配してくれ、「オバはん編集長でもわかる◯◯」というシリーズを連載してくれたことに由来する。私は37歳にして早々と「オバはん」を自認し、三つ編みを振りまわして、政治や経済、歴史、世界情勢などを「マイ・フェア・レディ」でヒギンス教授から手ほどきをうけるイライザばりに学び続けた。いまでも、数人の友人が普通に「オバはん」と私に呼びかけてくるのはその名残だ。