そのたびに、美樹さんは、何で私のことも少しは考えてくれないんだろう、と悔しい思いをし続けてきたようです。それでも、子どもの手前、笑顔で夫婦仲がいいように振る舞ってきたといいます。
一方、雅造さんは美樹さんが笑顔でふるまっているので、夫婦仲はうまくいっていると信じ切っていました。そのため、離婚を言われたときには稚拙な駆け引きだとしか思えず、
「いつでも、離婚してやるよ」
と言ってしまいました。自分の名前とハンコさえ押せばいい状態に準備された離婚届を差し出されて、本気なんだ、と気づいたら、血の気が引いたと言います。
最後の「いつでも、離婚してやるよ」がダメ押しとなり、美樹さんのそれでもまだ少しは残っていた躊躇する気持ちが木っ端みじんに吹っ飛んで、離婚届を差し出したのだそうです。
このお二人のケースは、複雑ではないですが、かなり凝り固まってはいます。20年も美樹さんは、「離婚」という言葉で押さえつけられてきた不満と怒りがうっ積していて、実際美樹さんはそこから抜け出すために、10年近く自活できるように努力してきたわけです。
そして、もうひとつ厄介なことは、この期に及んでも、雅造さんは「誤解」をといて謝罪すれば、美樹さんの気持ちが変わる、と思っていることです。
雅造さんは意識していたわけではないのでしょうが、美樹さんとの「交渉」がうまくいかないときに、美樹さんの弱みである「離婚」というブラフ(脅し)を掛けて、自分に有利な結果を引き出してきたわけです。生き馬の目を抜くようなビジネスの世界で身に付けたやり方を夫婦の関係にも使っていたわけです。
夫婦の間でも「交渉」をするなどという考えがなく、「いつも本音で話し合う」ことを求めていた美樹さんには、雅造さんの交渉力の前にはひとたまりもありませんでした。しかし、美樹さんが心のモードを離婚にシフトしてしまった今、かみ合う歯車が何もありません。美樹さんは交渉をしているわけではないので、離婚というブラフはもちろんのこと、譲歩や謝罪を含めて一切の駆け引きが効かないのです。雅造さんは美樹さんと話を合わせる術すらなくなってしまったのです。
夫婦をやっていれば当然話がまとまらないことはたくさんあります。その時、多少熱くなるのは仕方ないとしても、離婚というカードは使わないことをお勧めします。(文/西澤寿樹)
(※エピソードは、事実をもとに再構成してあります)