■駿台の1年間で自信が得られた
物理の山本義隆先生も印象に残っている。
「合格のテクニックではなく、きっと大学ではこんなふうに教えているんだろうなと思われるような、アカデミックな教え方がとても新鮮でした」
駿台で在籍したクラスでは、トップ争いをするほどの成績だったが、どれだけ勉強をしても受験に対する不安をぬぐい去ることはできなかった。
「当たり前のことですが、合格できるかどうかは誰にもわからない。不安を棚上げするには、結局のところ、愚直に勉強を続けるしかなかった。けれど、不安と同時に、駿台に通った1年間で確実に学力がついたという手ごたえも得られました」
千葉大学医学部を卒業して社会人になってからも、当時、身につけた数学的な思考は問題解決の糸口になることが多々あるという。そして授業の合間に古本屋をのぞいたり、そばに舌鼓を打ったり、ジャズ喫茶で過ごしたりした息抜きの時間も貴重な財産になっていると話す。
「駿台で過ごした時間は確実に物書きとしての糧になっている。浪人時代に無駄だったものは何ひとつとしてありません」
(文・柿崎明子)