37歳という年齢は、松坂のような現役プレーヤーは「ベテラン」と呼ばれるカテゴリーにあたるが、平石のような指導者になると、一転して「若き」の形容詞が就く。その優れた“野球脳”で、平石は松坂を苦しめたのだ。
あの夏の甲子園に、話を戻そう。三塁コーチャーズボックスに立った平石は、松坂と捕手・小山良男(現中日スカウト)のバッテリーが、ストレート、カーブを投げるときの“動きの違い”に気づいた。平石がチームメートに伝え、それを突破口として、松坂を攻略した。松坂も、自らのクセが読まれているのが分かり、試合途中で修正している。力と力、そして頭と頭の勝負。その“怪物を苦しめた男”も、高校時代に左肩関節唇損傷で手術を受けていた。
当時、全治6カ月。攻・走・守の三拍子揃った外野手だった平石も、リハビリに明け暮れたその日々の中で、肩にメスを入れたその苦悩を、身をもって知っているのだ。
「可動域が、僕も戻っていないんですよ。そうすると、ボールを投げるときに、ものすごく楽なところを(腕が)通ってしまうことがあるんですよ。よく本人も言っているじゃないですか? かばう動作が出てしまうって。大輔が言っていることは、ホントによく分かるんですよ」
松坂は、メジャーから日本球界に復帰した2015年から昨季まで3シーズン所属したソフトバンクで、一軍登板は一昨年の1試合のみ。その1試合は、10月2日に仙台で行われた楽天戦だった。平石は当時二軍監督。「だから映像だけなんですけど」と後日、同級生の登板を見たという。
「苦しかったですよね」
肩が動いていない。思うように投げられていない。松坂の背中を追って、プロの世界へと飛び込んできた「松坂世代」の一員として、傷ついた松坂の姿はショックだった。
「辞めても、よかったわけじゃないですか。でも大輔は、野球が好き。いろんな思いがあって、現役をやりたいと、この道を選んでいる。尊敬しますよ。年を追うごとに、スタイルは変わる。順応しないといけないわけじゃないですか」