死ぬことや生きること、あるいは祖父母や両親など特定の人の死についても、家族や親しい者同士で話しておくことが必要なのだと思います。ただ、死について語ることはまだまだタブーで、地域での啓蒙などもなかなかできないのですが……。

 でも、普段からそういう話をしておくことが、実際に死を迎える時にどういう処置を望むかというところにも、つながっていくんですよね。

■死ぬのは怖くない、母も通った道だから

 私自身は、震災を機に死ぬのがあまり怖くなくなりました。

 母のことは、死ぬ瞬間はどうだったんだろう、死んで今、どうしてるんだろうと、色々考えます。その時に救いなのが、祖父母や家族で親しくしていた方々が既に向こうにいる、ということなんですね。母はたぶん、突然死んで驚いているだろうけれど、向こうにはあの人たちがいる。だから、きっと大丈夫。そう思うことにしたんです。

 そう考えると、もし自分が死んだとしても、みんな向こうにいるし母も通った道だから、問題ないだろうと。

 死は、誰にでも起きること。そのプロセスはよく分からないけれども、誰もが乗り越え、ステップを踏んでいくものだということが、身近な人が亡くなったことで非常にリアルになった。だから死ぬのは怖くない。ただ、とりあえず父より先には死なないようにしようと思ってますけど(笑)。

※『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』(朝日新聞出版)から

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