それを考えた時、自分がここでこのまま診療を続けることが、果たして患者さんにとってメリットなのかどうか。自分にもっと適切なアセスメントやケアができれば、寝たきりや高齢の患者さんでも、もっと良いQOLを保ち、ご家族と良い時間を過ごして最期を迎えることが、可能なのではないか。
大震災から2年経って落ち着いた頃、希望していた消化器内科ではなく、老年医学分野に進もうと決心したのは、そういう思いがあったからです。
■弔い、送る儀式は死と向き合う大切なイベント
行方不明になっていた母の遺体を見つけたのは、3月の下旬頃でした。
各地からの支援や救護所の設置が一段落し、病院のスタッフも1週間ほど休んだのですが、その間に父と一緒に遺体安置所を回りました。もうさすがに、生きている望みはないだろうというので。
安置所は、その頃には既に何カ所かに整理、集約化されていました。朝から安置所に行き、見つからずに夕方帰ってくる、という日が何日か続いた後、父が見つけたんです。
安置されているご遺体は、衣服や靴が脱げてしまっていて、手がかりになるものが何もないことも多いんですね。でも母は、いつものお気に入りの靴をしっかり履いていました。走れるようにと、紐をギュッと縛っていたのかもしれません。
今もまだ、行方不明の方がいらっしゃることを考えるといたたまれないですし、母には、帰ってきてくれて本当にありがとう、と思います。
海の中にいたらしいんです。自衛隊の方だと思うのですが、見つけてくださって、心から感謝しています。
遺体が見つかった後、葬式を上げて火葬して今に至っているわけですが、母の死をどこまで受け入れているのか、今でも自分自身でよく分からないところがあります。当時は仕事も山積みでしたし、バタバタしているうちに過ぎ去ってしまったような感じで。
それに被災から時間が経ってくると、なかなか正面切っては立ち向かえない。時間が緩和してくれているのかもしれないですが、ナアナアになっちゃっているのかな、と思うこともあります。