全国で24件提起されている集団的自衛権の違憲訴訟のうちの1件に過ぎないし、内容自体の判断が出たわけではないから大きな意味はないと判断してしまったのかもしれない。
実は、他の一般住民による訴訟と現役自衛官による訴訟を同列に考えるのは大間違いだ。
それは、今回も争点となった原告の「訴えの利益」が、一般住民の場合と異なり、現役自衛官が原告なら認められる可能性が高いからだ。
訴えの利益とは、簡単に言えば、訴訟制度を利用して紛争を解決することを正当化する必要性、適切性または利益のこと(弁護士ドットコム)。特に、今回のように、あることの「確認」を求める訴訟では、市民が確認したいと思うことは無数にあるので、何でも認めると大変なことになる。そこで、わざわざ裁判をして結果を出した場合に、それが本当に当事者にとって、あるいは社会からみて意味のあることなのかどうか、具体的な争いを解決する効果が期待できるのかという観点で厳しく審査され、認められないことも多い。訴えの利益がなければ、訴訟の具体的な内容の審査に入らず裁判所がそれを却下する。いわゆる「門前払い」になるのだ。
本件でも、集団的自衛権が違憲かどうかの判断をして仮に出動命令に従う義務がないということを確認しても、そもそも出動命令が出る可能性がほとんどないのであれば、その判決はいわば空振りになるから、貴重な裁判所のエネルギーを費やすべきではないという意味で「訴えの利益」が争われた。
繰り返しになるが、一審の東京地裁では、「原告に出動命令が発令される具体的・現実的な可能性があるとは言えず、命令に従わないで刑事罰を科されるなどの不安は抽象的なものにとどまる」として「訴えの利益なし」としたのに対し、東京高裁は、集団的自衛権の発動はあり得るという判断を前提にして、訴えの利益はあるのだから、ちゃんと内容の審査をすべしとして、東京地裁に裁判を差し戻したのだ。
これが一般住民の訴訟だと、仮に集団的自衛権の行使のための出動命令が出されても、これらの市民がどんな不利益を受けるのかということを具体的に主張することが困難だ。精神的不安は確かにあるだろうが、集団的自衛権が発動されて本当にミサイルが飛んでくるかどうかはわからないだろうという反論もしやすい。
それに対して、現役自衛官は、出動命令に違反したら確実に大きなペナルティーが科され、大変な損害を被る。「そんなことは起きるかどうかわからない」とは言えない。つまり、他の訴訟がすべて門前払いになるとしても、現職自衛官の訴えだけは違憲性の審査に入ってもらえる可能性があるということなのだ。
■現役自衛官の勇気と信念を支持して最高裁の逃げを許すな
実は、私は3年以上前の安保法制成立以前から、この訴えの利益の観点から、何とかして、安保法制成立後に現役自衛官に訴訟を起こしてもらうべきではないかということを弁護士らでつくる「安保法制違憲訴訟の会」のメンバーなどに提案し、メルマガなどでもその主張を紹介していたが、正直、そんなに勇気のある自衛官を探すのは至難の業だと思っていた。なぜなら、訴訟を起こした瞬間から、その自衛官は自衛隊の中で「針の筵(むしろ)」状態となり、その精神的苦痛は計り知れないものとなるからだ。現役自衛官による訴訟は、実は本件だけだ(1月31日毎日新聞)というのも頷ける。
その意味で、訴訟を起こしてここまで戦ってきた現職自衛官の方の勇気と信念に心から敬意を表するとともに、全国の市民による支援を提唱したい。
マスコミには、こうした重要なニュースをしっかり報道して欲しい……。
2月1日に私のネットサロンにこう書いたら、2月3日の朝日新聞の社説がこの裁判について取り上げた。他紙も民放もこれに続いてくれたらと思う。
さらに、この問題に国民的関心を高めるべき理由が実はもう一つある。
憲法違反の可能性を強く指摘されている状況で集団的自衛権を発動して海外で戦闘行為を始めてしまった後に、裁判所がそれは違憲だとしたら、大変な混乱が生じる。