はっきりいってしまえば、「勉強しなさい」「宿題をやりなさい」くらい不毛な言葉はないのです。親も説得が面倒くさくて骨が折れる、子どもも不快なうえにモチベーションが下がる。

 子どもの頃は、「勉強しろ」なんて言わなくても、勝手に好奇心でいろんなものを学ぼうとします。うちの息子も、絵本を見ながら「これなんて読むの?」と何度も何度も尋ねてきます。「グレープジュース」と書いてある文字を指さして「これはね、ブドウジュースって読むんだよ」と嬉しそうに教えてくれます。「完全にブドウの絵を見て言っているな……」と心では思いつつ、間違いを正すより、とにかく字を覚えようとする気があることを褒めまくっています。勉強は勉を強いるもの、ではなく、勉を強めるもの、と捉えましょう。

 それよりも、うちでは今、勉強をしてくれないというレベルではなく、野菜を食べてくれないというもっと低いレベルで格闘しています。特に子どもの敵、ピーマンです。ちょうど自我が強くなってくるお年頃なので、「食べなさい」と言われれば当然「嫌」のスイッチが押され、心理的リアクタンスが働いてしまいます。

 そこで、「ピーマンが理不尽で可哀想な扱いを受ける絵本」を買い、日頃から読み聞かせるようにしました。これは、作者はピーマンに一体なんのうらみがあるのかと思うほど、野菜たちの中でピーマンばかりがひどい目にあう話です。そして、息子のお皿にピーマンが残されているときは「ああ、ピーマンがまた1人残されて可哀想な目にあってる……」と、机に突っ伏して大げさに泣く真似をするのです。

 すると、息子はオロオロしながらも同情するようで、わりと男気を出して食べようと頑張るようになりました。なんとなく情操教育にもよさそうです。

 勉強だって、野菜だって、強制されるのではなく自分から「やろう」「食べよう」という意思を持つように仕向けるのが一番ですよね。

 ただ、ピーマンは私も子どもの頃は敵だったので……これだけ長い年月、子どもと親が苦戦しているメジャーな野菜なわけですから、そろそろ誰かが品種改良か何かで苦みをとってくれてもいいんじゃないかな、と思うこの頃です。

[AERA最新号はこちら]