「反省だけならサルでもできる」というCMがありましたが、サルは反省していませんが、反省しているように見えるプレゼンをしています。相手がサルだから反省していないと断言できますが、人間だと内心は分からないので、判断が難しくなります。
しかし、そもそも反省って何でしょう。辞書によると、「自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること」とあります。しかし、実際に妻が求めていることは、必ずしもこういうことではないはずです。この辞書の通りでよいなら、「自分のよくなかった点(=浮気がばれた脇の甘さ)を改めよう」と考えること、も「反省」に違いありませんが、これが反省だと思う人は、さすがに浮気をした側にも少ないです(多少はいるということでもありますが)。
では、「自分のよくなかった点(=浮気してしまったこと)を改めよう」と考えればいいのか、というと、実は、これも違います。単に「考え」ればいいわけではなく、何らかの結果が必要なはずです。
妻からしたら、もう二度とこんなことがないと信じたい⇒(でも不安だ)⇒でも「もうしないといっている」から信じたい⇒(でも不安だ)⇒でも信じなければ夫婦が終わってしまう⇒夫がすごく反省している(ように見える)のだから、きっともうしないと信じよう、というように妻が自分の気持ちを抑え込んで、現実を動かすために必要なのが、上に書いた「反省(と受け取られるようなプレゼン)」としての罪悪感なわけです。
一般的には、「反省」とは「罪悪感を持つ」ということとほとんど同じ意味で使われているように思います。そう考えてみると、実は浮気した夫は「反省」している(傷ついた妻を見て罪悪感に浸っている)ことが多いのは事実です。
私は、裁判官も、刑務官も、学校の先生も、浮気された妻も、そして浮気した夫すらも、「強い罪悪感を持てば、同じようなことをしないだろう」というファンタジーに取りつかれているように思います。『反省させると…』は、そんなファンタジーでは問題は解決しない、ということを明らかにしました。
では、どうすればいいのか。