そう言って言葉を詰まらせた。これまでの自身の歩みが走馬灯のように蘇って、目にはジワっと涙が浮かんだ。
「……すみません。まさか、自分が母校のユニフォームを着て甲子園に戻ってくるとは思っていなかったので。いろんな方の支えがあって今の僕があると思っています。研修会(プロ・アマ規定の制度改正によってできた学生野球資格回復研修会)を受講すれば高校野球の指導者になれるという仕組みを作ってくれた方々がいました。そのおかげで母校のユニフォームを着ることができた。コーチになった時に恩師が監督をしていて『後任はお前だ』と言ってくださいました。それらすべてがあって……。幸せな野球人生ですね。今振り返ると『まさか、まさか』のことばかりで」
恩師である橋本が、天理のグラウンドを訪れたのは、甲子園初戦の前日だった。そこで中村は恩師に頼んで、帽子のつばに一筆入れてもらった。
「黒の油性ペンで『先生、何か書いてくださいよ』と言ったら、橋本先生は『笑』と書いてくれました。『おまえがベンチで笑っていたら勝てるよ』と言ってくださいながら」
本来、橋本は達筆な字を書くのだと言うが、あえて文体を崩した『笑』の字を書いてくれた。まるで「笑っているような字」だった。
甲子園のベンチで、中村は笑うことができただろうか。
「いや、笑えないですよね(笑)。何とか勝たせてあげたいと必死でしたから」
それでも、神野の2打席連続アーチが飛び出し、さらに森本翔大のタイムリーで3点目が入ると、新米監督が試合前から続いていた緊張から解放された。
初戦勝利で自らが登り詰めた甲子園の頂に少しだけ近づいた。
「それは気が早すぎますね。ただ、1試合でも多く甲子園球場で野球ができることは名誉なことだし、選手にとってはかけがえのない思い出になる。僕がそうでしたから」
これからも「選手を信じて指導していきたい」と言う中村。その顔には、何とも言えぬ温かみがあふれていた。(スポーツライター・佐々木亨)