典子さんも、しみじみと語る。「父が様々な方の支援を得て、命を努力で守り、奇跡が起きたように思えてなりません。今ではことあるごとに家族で集い、シャンパンでにぎやかに会食をしています。ただありがたく幸せなひとときです」

 松本さんの「回復のストーリー」は、まだ終わらない。「これまでお世話になった方々への恩返しのつもり」で、約4年前から勉強を続け、介護関連の資格を六つとった。介護職員初任者研修修了や認知症ライフパートナー、同行援護従業者などだ。

 現在、鶴見区の地域ケアプラザ(地域包括支援センター)のボランティアをしている。駅員を対象に「認知症の客にどう接したらいいか」といったテーマで寸劇を演じるなどしているのだ。「高齢化が進み、介護人材も不足している。少しでも貢献できれば」と松本さん。講演活動もしており、自身の「復活体験」を話している。

 救急医として関わった済生会横浜市東部病院救命救急センター長の山崎元靖医師(46)は、感慨深げにこう話す。「(『日本で老いて死ぬということ』出版記念の)立食パーティーで、何でも好きなものをとりわけ、食べられている松本さんの姿を見ると、救命救急センターで人工呼吸器を装着されていた姿とは隔世の感があります。そして、さらに今は松本さん自身が介護を学ばれ、社会に貢献しようとしている。救命救急医は、どうしても患者さんと一点でしかふれ合うことができず、回復した後のお姿を拝見することは少ないので、本当にうれしい」

「よたよたになっても、天命が来るまでは、人生を全うしたい。せっかく助けてもらった命なんですから」。松本さんは、80歳を過ぎた今も、前へ前へ、歩き続けている。(朝日新聞社・佐藤陽)