銀盤を軽やかに、美しく舞った浅田真央が引退した。類まれな資質を努力で磨き上げ、孤高の頂にまで昇華させた国民的スケーター。幼なじみでありライバルでもあった安藤美姫が、4月24日に緊急発売されたアエラ増刊「浅田真央 すべてを抱きしめたい。」(朝日新聞出版)で、浅田の愛らしい幼少時代から血のにじむような鍛錬の日々、そして引退を表明するまでの二人の秘話を明かしている。
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浅田真央がブログで引退を表明した4月10日夜、「まおと同じ時代に選手として同じリンクで日本代表として滑っていられた事を誇りに思います」「本当にお疲れ様 そしてありがとう また一緒に滑ろうね」と、SNSでエールを送った安藤美姫。
「引退というのは、彼女がいっぱい悩んで出した答えだったと思います。(ソチ五輪後に)1年オフを取ってスケートと向き合うまでにも時間がかかっただろうし、昨シーズン復帰していろんな試合に出て自分と向き合いながら過ごして、たどり着いた決断なんだろうなと」
同時期に世界女王や全日本女王の座を激しく奪い合った印象が強いが、安藤にとっては「ライバルという気持ちはなくて、幼なじみ」だという。
浅田との出会いは9歳のとき。浅田が先に入っていた名古屋市の名東フィギュアスケーティングクラブに安藤が入会した。
「2人とも跳べるジャンプの種類が多いほうだったので、グループレッスンや合宿のときに一緒にペアを組むことが多かったんです。お互いがジャンプを成功しないと次のジャンプに進めなくて。2人ともだいたいひょいひょいと成功して。楽しかったですね」
のちに、トリプルアクセルが代名詞となる浅田と、女子で世界初の4回転ジャンパーとなった安藤は、そうしてジャンプの基礎を固めていった。いわば「原点」を共有しているのだ。ジュニアの下の「ノービス」のAクラスで安藤が、Bクラスで浅田がそれぞれ優勝したことも印象に残っているという。
大会や合宿で遠征の際には、一緒にディズニーランドに行ったり、観光したり。互いの自宅に泊まったこともあったという。2人は全国大会で頭角を現す一方で、リンクの外ではリカちゃん人形で遊ぶような普通の小学生だった。そんな関係は安藤が中学生に上がり、浅田が別のクラブに移るまで続いた。
「真央はすごく明るくて。それに、次女ということもあってか、負けず嫌いの性格だなという印象があります。試合でお姉さんの浅田舞さんに負けたら泣いていたこともありました。その分、上達が早いなと感じていました」