安藤は2002年、女子選手として初めてISU(国際スケート連盟)公式大会で4回転ジャンプを成功させ、一躍注目の的になった。04年に世界ジュニアで金メダルを手にすると、翌年には浅田もその座に就く。07年、東京で開催された世界選手権では、世界女王の座を争い、安藤が金、浅田が銀と表彰台に並び、日本女子フィギュアの強さを世界に知らしめた。
「4回転を跳んだのは14歳だったし、すごいことかもわからずやっていたので、特にプレッシャーはなかったです。ただ、マイナー競技で、テレビ放映もなく、無料で観戦できた時代。なんで注目されるのか分からなくて、周囲の目の変化に戸惑いはありました」
4回転を期待する周囲にどう応えていいのか迷っている中で、トリノ五輪の後にニコライ・モロゾフコーチから、「スケートはジャンプだけじゃない」と言われて救われたという。
「私はプレッシャーを感じない性格だけど、戸惑いはあった。真央は長い間、私以上に大きな期待を背負い、ちゃんと結果を出してきた。本当に強いと思います」
練習に対してストイックな浅田を「アスリートとしてとても尊敬していた」という。海外を拠点にしていた安藤が、帰国して中京大学のリンクで練習していると、浅田と練習時間が前後になることがあった。リンクの上以外でもトレーナーをつけてトレーニングやストレッチを入念に行い、練習し続けていたという。
「私は全然違う。リフレッシュしないと続かないし、プライベートも大切にしたいからスケートのことを考えるのはリンクの上だけにしていた。私は負けて泣いたこともないし、オリンピックに出たいと思ったこともなくて。アスリートの中のアスリートという真央とは全然タイプが違いましたね」
タイプの違いは演技のスタイルにもあった。
「真央のスケートは、小さいころから習っていたバレエが基礎になっていて、動きがきれいだし、柔らかい独特の雰囲気があって、私には出せない純粋なスケートだなって思っていました」
14年に世界選手権を制したショパンの「ノクターン」や、10~11年と翌シーズンのフリー曲、「愛の夢」(リスト作曲)など流麗な音楽に乗り、無垢で真摯なスケーティングを表現するのが浅田の魅力だ。
「ただ、私は私。同じ時期にリンクの上で一緒に滑るスケーターの一人として、真央と同じことで勝負しても評価は絶対に低いと思っていました。だから、私は逆に力強さを表現し、キャラクターをつくるのが得意だったので、それを生かしてはいました」