ばかにならないお年玉の出費……。親戚が多い人にとっては切実な問題ですが、どうしても苦しいならば「餅」で乗り切ってしまうという荒業もあります。
というのも、お年玉とはもともと餅だったのです。いまでこそ生々しく現金を渡していますが、その昔はお正月、神さまにお供えした食べものを子供たちに分け与えていました。そのひとつが鏡餅です。
まだ伝統的な習慣や社会生活が色濃く残っていた時代、お正月とは厳格な儀式でもありました。年末から、家族そろって神社で大祓(おおはらえ)の儀式を受け、大掃除をし、その年の穢(けが)れを祓(はら)ったものでした。そして、実りの神でもあり、ご先祖の霊でもある「歳神さま」がやってくるのを歓迎するために、鏡餅を供えました。
門松や玉串など、神が宿るとされる新年のデコレーションはいろいろありますが、鏡餅もまた「依代(よりしろ)」のひとつ。こうして各家庭を訪れた歳神さまは、餅に宿って一族を見守ってくださるのです。
そしてお正月も過ぎ1月11日前後の鏡開きの日に、この鏡餅を割って、お雑煮やお汁粉にして食べるのがしきたりでした。ここには、ご先祖の魂を、そして歳神さまの運気やパワーを取り込むという考えがあるといわれます。
そんなことをとうとうと子供たちに諭しつつ、お父さんは餅を分け与えてくれるのです。これがお年玉のルーツという説があります。当時は「歳魂」という字で表現されました。
現ナマの出費も魂のように重く痛いものですが、祖先の霊だと思うとありがたさはずっと増します。こうしたエピソードを交えつつ、新年からタメになる説法を披露し、お年玉を餅でごまかすというのが賢い大人なのかもしれません。ちなみに現代のようにお年玉が現金になったのは、江戸時代のあたりからだそうです。
餅=コメは日本人の魂のようなものかもしれません。稲作によって文明を開き、維持してきた日本人にとって、何よりの実りの証です。単なる食べものというだけでなく、ときに神聖視されてきました。祝いの席やハレの日に好まれたメニューでもあります。ひな祭りのひし餅や、端午の節句のちまき、土用餅など、季節ごとの行事にも欠かせません。鏡餅というネーミングも、古代には神聖なアイテムとして神事に使われた青銅製の鏡に由来しているといいます。