「どこか可笑しみがある方が、キャラクターとして魅力的だと思うんです。ダメな子が不器用なりに頑張って成長していくって可愛らしいじゃないですか。乱太郎たちは漫画の中でずっと10歳のままループしているんですが、アホなりにちょっとずつ成長している部分もあるんですよ」
●想像の翼をひろげるファン
同作をきっかけに水軍を調べたり、くじらの博物館に足を運んだりと、探究心旺盛な読者が多いのも特徴だ。尼子さんが住む尼崎市の地名をキャラクターの名字に使うことも多いため、それを目当てに尼崎市を訪れるファンも多い。「目的のある旅って面白いんですよね。これをきっかけに尼崎市を好きになってくれる人もいてありがたいです」と尼子さんも喜ぶ。
「まったく男前のつもりではなかったキャラクターが、ファンのフィルターにかかるとすごくいい男になったり(笑)。評価をくださるのは読者であって、作者は言い訳をしてはいけない。ファンのみなさんが自分の世界でキャラクターを動かしていると、そういう見方もあるのねと驚いたり面白かったりします。想像の世界で遊ぶことは、脳の刺激になるし楽しいこと。想像の翼をひろげて有意義な旅をしたり、楽しんでくれていることはうれしいです」
●笑ってくれる読者がいるかぎり
「関西人だからか、やっぱり人が笑ってくれるのが幸せ。面白いことを伝える手段が、私の場合はギャグ漫画だったんです。私自身、ギャグ漫画を読んでほっとしたり、励まされたりしてきました。こんなふうに能天気に生きられたら、どんなに楽だろうと思うことがあるじゃないですか。人を疑わない、裏切らないというのが、乱太郎の世界だと思うんです」
昔に比べると体力的にきつくなっているが、やりたいことは尽きない。中学生の頃から大好きな蒙古襲来で活躍した竹崎季長、平安時代の官僚・藤原高房の妖怪退治、地獄の役人の子どもたちが通う冥途小学校の話……。
尼子さんは電話交換手として働きながら、通信制の大学で日本史を学び、漫画を描いてきた。若い人たちには「自分なりの勉強をして、自分が武器とするものを持ってほしい」と訴える。
「自分の夢があれば、人のことをねたんでいる暇なんかない。夢に向かってやらなきゃいけないことがたくさんありますから。歴史を見ても、人間は夢や希望がなければ生きていけません。逆に今生きているということは、何か希望があるから生きているはずなんです」
子どもの頃は四畳半一間の長屋暮らしで過ごした尼子さん、阪神大震災では自宅が被災して母は仮設住宅で7年過ごした。今は家を建て替えることができて、母とは「乱太郎たちが親孝行をしてくれたね」とよく話すという。今後も読んで笑ってくれる読者がいるかぎり、漫画を描き続けていく。
「未来にはきっと、何かいいことが待っている。それは明日か、20年後、30年後かもしれない。でも必ずいいことが用意されているから、それを待ちましょう」