山崎さんが考える築地の姿も、話をしてくれた。

「築地を丸ごと文化遺産にすればいいと、私は考えています。外側のアーチ状になった建物(水産物部卸売業者売場の入る建物)は、当時としては珍しい、イギリスの建築家が作ったと聞きました。この建物は重厚で、昭和初期の面影があります。この建物を中心に、築地ごと文化遺産にすれば、もう誰も手をつけられなかったのに。軍艦島だって世界遺産になったじゃないですか。あっちは、人ひとりいない終わったもの。こっちは、なんの問題もなく、今も動いているもの。世界一の魚の流通量をこなしながら、戦前の面影を残す数々の風景が、築地には今もそのまま残っています。わざわざ壊すことなんてないですよ。新しいことだけが素晴らしいわけじゃない。アジアンチックでいつもにぎやかで毎日お祭りみたいな市場なんて世界中さがしてもないんですから」

 山崎さんは、こうも続けた。

「1億総活躍社会なんて最近聞きますけど、体さえ元気だったら、築地ではどんな人でも活躍しています。ここにその(1億総活躍社会の)いいお手本が、すでにあるんですから、新しいことをする必要なんてないんですよ。築地を見に来て学んでほしいくらい。『築地が再建できれば、日本は再建できる』と、私は今も、そう思っています」

 売店で買い求めるものは商品であっても、売店に求めるものは、商品だけではないのかもしれない。築地の人々は、言葉のやりとりも含めたなにかを求めて、それぞれの売店を訪ねているように思った。

 11時を過ぎると、場内の空気はゆったりとしてくる。1日の仕事を終え、帰り際に売店で缶コーヒーを買い一服する人たちは、朝と違い滞在時間が長い。居合わせたものどうしで少しゆっくりとおしゃべりをした後、それぞれの家路につく姿が続く。私もよくその輪にまぜてもらい、名前も知らない方から、築地の昔話を聞かせてもらっている。

 この日私は、魚の入った発泡を載せたカートとともに山崎さんの売店わきでひと休みしている女性に話しかけた。銀座で小料理店を営んでおり、毎日築地に買い出しに来ているとのことだ。「ここは、私にとってはカフェなんです」そう言って彼女は、ふうっとたばこの煙をくゆらせた。

 店員も店主も、ここで働く人々も買い付け客も、築地に来ればみな仲間。仲間が集う憩いの場でもある築地の売店は、イスもテーブルもなくとも確かに、ヨーロッパの街で見かけるカフェと同じような存在なのだろう。

 この原稿を書き終えた今日も私は、山崎さんのカフェで時折骨休めしながら、築地の取材を続ける予定だ。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。アサヒカメラ.netにて「アフリカン・メドレー」を連載中

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