この日のベストヒットは、店の前に来た客の顔を見て発したこの一言。「なんか用か?」だ。そう言われた客は「店やってるのに、客に向かって『なんか用か?』はねえよ」と大笑い。思わず私も、一緒に笑ってしまった。
こうやって書き示すと言葉のひとつひとつはどぎついが、当然ながら、梅本さんの表情に悪意は見られず、嫌な顔をしている客もいない。皆、梅本さんとのやりとりに、ニコニコとしている。
もちろん、毒吐くばかりが梅本さんではない。「たばこ」とだけ言って手を出す客には即座に特定の銘柄のたばこを選び出し、客の顔を見て「元気になったかい」と目を細めて声をかけることもあった。梅本さんにしかできない究極の接客が、ここにはある。
梅本さんがここで仕事を始めたのは1987(昭和62)年。台風の時を除いては、毎日勝どきから自転車で通っている。梅本さんは初めから築地で仕事をしていたわけではなく、かつては事務職をやっていたという。「30年近くもやってきたってことは、結局、築地が(自分に)あったっていうことなんだよね」と話してくれた。その言葉に、私も全く異論はない。
7時を過ぎたころ、山崎さんが出勤。梅本さんと入れ替わるかたちで、店内に入った。
山崎さんも梅本さん同様、築地は長いのかと思っていたが、山崎さんがここで仕事を始めたのは11年前から。山崎さんのご主人は大正から続いた牛乳店の3代目。3年前に亡くなられた。ご主人が築地市場に縁があったことをきっかけに、山崎さんは11年前、この売店を経営する有限会社婦じ世の顧問に就任。以来、経営を任されるかたちで、この売店に立ち続けている。有限会社婦じ世が経営するのはこの売店のみ。他の売店も、それぞれ異なる会社によって経営されている。
ほんの少し前までは、現在ある店舗以外にも、たくさんの売店が場内に点在していた。机ひとつに、牛乳とパンだけを並べて販売するスタイルの個人商店が、いくつもあったという。中には、机の後ろにガスコンロを持ち込み、夏はそうめん、冬はうどんを売る店まであったらしい。こういったスタイルの売店は「引き売り(荷車を引いてきて、その荷車上でものを売るとの意味)」と呼ばれてきた。