トルコという国は、地政学的にも、さまざまな勢力が入り込んでいる。アジアとヨーロッパの間にある国は、そのなかで生き延びてきた。現政権も世俗主義と教権主義の間で揺れる。7月15日に軍のクーデター未遂事件が起きた。これも政治から宗教を排除するという世俗主義をめぐる問題だ。しかしほかのイスラム系の多くの国から見れば、トルコの自由さの証にも映る気がする。だからさまざまな国の飛行機が乗り入れることができる。空港に表示される飛行機の目的地は、中東やヨーロッパが多い。バグダッド、テヘラン、サナアといった都市名のなかにフランクフルトやパリが混ざる。

 教権や強権が支配する国々からやってきた人々は、この空港から自由を嗅ぎとっていく。彼らの姿を見ると、僕はいつもほっとする。彼らにとって、この空港は外の世界と接する窓口なのだろう。同時に、過激なISに憧れる欧米の若者にとっても、この空港が窓口になる。

 アタテュルク空港はいつも混みあっている。増える便に空港の設備が対応できていない。搭乗口には10個ほどの椅子しかなく、乗客の大半は立って待つ。隣の搭乗口も近く、立っている乗客がどちらの便に乗るのか判然としない。そのなかをトルコ人の空港スタッフが汗をかきながら走りまわっている。こんなトルコ人が嫌いではない。かつてのイスタンブールの港も、こんなカオスに彩られていたのだろうか。

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