私はその頃、ちょうど30歳になったところでした。ここからは、“自分のために働く意識”を持つだけではだめだ。
私は“会社のために働く意識”も、もっと強く持たなければ。
そんな決意が私の中で生まれました。
この事故で夫は全治6カ月。肋骨が折れて肺に突き刺さる重傷を負いました。そして妹は脚が骨盤にめりこみ、その後何度も手術を繰り返しましたが、脚に障がいが残ってしまいました。
夢中で生きているとき、ひとはついついまわりが見えなくなってしまうものです。でも、ひとは決してひとりで生きているわけではないのです。職場でも、個人的な場面でも、誰かしら支えてくれるひとがいるから、生きていける。ふだんは忘れてしまいがちだけれど、これは自分の根幹にきちんと持っておかなければいけない想いだということを、私はこのとき胸に深く刻みました。
この事故でもうひとつ思ったことは、どんな不幸に出会っても、「自ら進んで“自分は不運だ”などと思ってはいけない」ということです。
多くのひとたちが、お見舞いに来てくれたり、私に声をかけてくれました。
皆が口々に言います。
「とんだ災難だったわね」
「交差点でそんな事故にあうなんて、不運だったね」
運が悪いだなんて、言い始めたらキリがないことです。
自分の身に起きたことを「不運だ」「不幸だ」と言っていても、後ろ向きになるだけです。
ひとから見たら大きな不幸でも、そこにずっと思いを残しては、前に進むことはできなくなってしまいます。
呆然とするようなできごとに出会ったときほど、「なんでこんなことになってしまったのだろう」という言葉は口にしないことです。何が原因? 私が何をした? なぜ私だけがこんな目にあう? と過去を振り返り続けたところで、決して未来は変わりません。
見るのは「未来」だけでいい。
たとえ不幸のどん底に突き落とされても、いまここから、この瞬間から「未来」は変えていけるのですから。
私は決して屈強な精神の持ち主ではありません。弱くて弱くてどうしようもないのが“素の私”であることも、自分でよくわかっています。そんな弱い人間でも、30歳からはもう「未来」しか見ないと決めたからこそ、いままで働いてこられたのかもしれない。最近、そのように思っています。
【しなやかに生きる知恵】
自己中心的な気持ちや後ろ向きの気持ちを手放したときに
人生は大きく変わる