と、突っ走り気味に「愛の不時着」を語っているのも、きっと今、コロナ禍の日本に生きていることで、あまりにも「守られていない」現実に、打ちのめされているからかもしれない。緊急事態宣言の期間と重なるように、38度線を越える恋愛に日本中が熱狂しているのも、日本の現実に人々が絶望している状況の裏返しなのかもしれない。
ヒョンビンのいない日本。カビの生えたマスクが政府から2枚送られてくる日本。布マスクの検品に8億円かける日本。不安を訴えてもPCR検査をさせてもらえず、スーパーに行けば「この人、感染してないだろうね!?」と警戒する日常が強いられる日本。自粛は要請されるが補償は確約されず、補償のための書類審査に時間がかかりすぎる国。しかもこんな時に自分の夢である憲法改正を語る首相。政府に命も生活も守られていない不信と不安は募る一方だ。
ウイルスは差別しない。それでも政治によって殺される。
同じ危機に対し、他国の政策がリアルタイムに見える今、そのことが明らかになった。特に韓国と日本の違いは大きかった。韓国は日本より最初の感染者の報告が4日も遅かったが、徹底的にPCR検査を行い、感染者を隔離し終息に向かった。不法労働者に対してすら「摘発しないから検査を」と、命優先で迅速に動いた。事実を明らかにすることでパニックを防いだ。さらに今秋の第2波に備え、国内に1千件の呼吸器内科を増設することも早々に発表されている。
ドラマ同様、政治にも韓流があるのだ。コロナに関しては、韓流政治のあまりのスピード感と劇的な変化に、圧倒される。
なにしろ日本にいると事実は「伏せられるもの」という前提があるのを突きつけられる。誰がなぜ布マスクを配ろうと言い出したのか、布マスクの会社がどう決められたのかもわからない。PCR検査数は少なく、本当の感染者数がわからないまま曖昧に緊急事態宣言は解除されたが、本気で安心している人はどのくらいいるだろう。真実が闇の中に投げやられるのを見ながら、セリの兄夫婦らがセリにしてきたこととかぶってしまう。