味は美味しいのに、捨てられる野菜が大量にある。大きさや形が規格外のものは、流通ルートに乗せられないからだ。そんなのはおかしい。荻野伸也はその規格外の野菜を料理する。メニューはその日届いた野菜次第。食べ物の本質を知るために、自分で猟もするし、畑も耕す。料理人とはどうあるべきか。命の在り方をじっと見つめる。
* * *
地平線の空がぼんやりと明るくなる。遠くで山の稜線が浮かび始めた。ここは山梨県の塩山駅から車で20分ほど入った山中である。山を登っていた男は、夜が明けるのを見計らっていったん立ち止まり、担いでいた荷物を下ろした。
小鳥のさえずる声がやむ。聞こえてくるのは風が頬を撫でる音だけだ。
男はザックから手慣れた手つきで銃を取り出すと組み立て始めた。レミントン11-87。自動式散弾銃だ。薬室に散弾が3発入り、引き金を引くと自動で装填されるので便利だが、とにかく重い。男は銃を担ぐと、クヌギ、コナラ、ヒノキといった樹相が入り交じる森に分け入った。踏みしめる道は次第に痩せ、ついに獣道になる。
時折しゃがんでは地面を見詰めている。
獣道には鹿の糞のほか、猪や熊の足跡もあった。鹿の糞はまだ新しく、1時間前にはここを通ったはずだという。子連れのようだ。おそらくこの獣道を通って麓に下り、畑の農作物などを食べてから再びこの道を登ってきたのだろう。
どこかで「キーン」という甲高い声が響きわたる。鹿の鳴き声だ。男は動きを止め、遠くを見詰めた。その姿勢のまま、息を止め、静かに獲物を待つ。気配を感じる。素早く動いた。
「ズダーン!」
重く鈍い音が森の中に広がり、男は獲物の方に向かって一目散に駆けていった。
男の名前は荻野伸也(41)。猟師ではない。予約のとれない店で知られたフランス料理のレストラン「OGINO」のオーナーシェフである。
だが、荻野にとって猟は趣味ではない。料理人としての生き方であると同時に、食べ物の本質を理解するためでもある。