ちなみに、鈴木が芸能界入りしたきっかけは、大学在学中にカネボウ(現・クラシエ)の水着キャンペーンガールに選ばれたこと。じつは松嶋の出発点も、旭化成の水着マスコットガールだったりする。いわゆる「お色気」系の仕事だが、松嶋の場合はその後もその手の活動が続いた。

 92年に女性誌「ViVi」の専属モデルとなり、ドラマ「社長になった若大将」(TBS系)で女優デビューも果たしたものの、これが視聴率低迷で途中打ち切り。再びテレビで注目されたのは、95年の日産自動車・アベニールサリューのCMと「とんねるずのみなさんのおかげです。」(フジテレビ系)のコント「近未来警察072」だ。

 前者のCMは、太ももをアピールしながら「お、ま、た(お待た)」とささやく趣向。後者にいたっては「カタいわ!こんなの初めて」「ダメ!中はダメ!」「ああ、当たってる!」などと下ネタ(に聞こえるせりふ)を言わされる役割だった。それゆえ、朝ドラ「ひまわり」(96年度前期)のヒロインに決まったときは意外にすら感じたほどだ。

 そんなデビュー直後の数年間について、彼女は「Woman type」のインタビュー(2020年1月)でこう振り返っている。「芸能界に入りたての頃はオーディションに落ち続けていた」「連続で不採用をもらうと(略)『あなたはいらない』と言われてるようで」としたうえで、

「相手が求めるものと自分が持っているもの、それがただ『合わなかっただけ』だって思い直したら、オーディションに落ちることが苦ではなくなってきたんですよね。考え方を変えたら、大きな仕事が一気に三つくらい決まって」

 つまり、オーディションの結果は「相性」次第というとらえ方だ。この三つの仕事とは、日産のCM、とんねるずとのコント、そして朝ドラを指すのだろうか。ただ、朝ドラに関しては、彼女との相性はともかく、世間との相性はいまいちだったかもしれない。「ひまわり」の視聴率は平均、最高ともその時点での歴代ワースト3位。けっして大コケしたわけではないが、その直後の「ふたりっ子」(96年度後期)が数字的にも話題的にも大成功したため、影がうすくなってしまった。

暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?
次のページ
ヒロインは「当たりすぎ」でもダメ