「建物が壊されているときだって、どこに荷物を運び出そうか、トラックを何台借りようかと考えて、落ち込んでいる暇なんてなかった。この23年の経験で打たれ強くなっていたんだなって気づきました」

 真美さんにとって、すべての基本がガテラさんだという。

「出会った頃は単純に好きという感情で、彼のために義肢装具士の勉強をしたいと思ったけど、死と隣り合わせの状態を生き抜いてきた彼には、どんなしんどいことがあっても簡単に諦めるという選択肢がなく、不可能を可能にしてきた。いい意味で私を甘えさせてくれないんです」

 そんな2人が見つめているのが、来年開催予定の東京パラリンピックだ。

 実は2人は2000年のシドニー・パラリンピックで、ルワンダからの初出場の道を切り開くために尽力した経験がある。

 ルワンダに義肢製作所を開設してしばらく経った頃、義足がほしいとやって来た20歳の青年が、義足の完成を目前に自ら命を絶った。真美さんとガテラさんは、障害があっても前向きな気持ちを持つにはどうしたらいいのかと話し合う中で、スポーツで勇気づけられないかと思い立ち、国際パラリンピック委員会に手紙を書いて援助を頼んだ。するとシドニー大会に特別枠として出場しないかと提案を受け、国内で選考会を開催。ワンラブで義足を作った27歳の男性が、ルワンダからの初めての代表選手として水泳で出場を果たしたのだ。参加のための資金も自分たちで集めた。

「思い返すと、とても感動した体験だけど、同時に感じたのは、パラリンピックはお金持ちの大会だということ。競技用車いすや走るための義足がないと勝てないし、航空券も買わなければ参加できない。そのお金が出せない国は出られないんです」

 パラリンピックは近年、競技性が前面に押し出されるようになり、最新の技術を駆使した車いすや義足などを使用できる先進国の選手と、出場権を得るための国際大会への出場もままならない途上国の選手との間の格差が拡大しつつある。

「今は、パラリンピック出場や記録を出すことより、ルワンダで障害のある人たちに、運動もできるんだという意識を持ってもらう機会をつくりたい」

 ガテラさんは「レーサー」と呼ばれる陸上競技用の車いすを手に入れ、ルワンダでトレーニングに励んでいる。東京パラリンピック出場も目指してはいるが、それ以上に、このかっこいい車いすをルワンダの人たちに見てもらいたいという思いがある。次は、通称「板バネ」と呼ばれるスポーツ用義足で走る選手を誕生させるプロジェクトも計画している。

「障害のある人もない人も誰もが参加できる日本の運動会のようなものを、いつかやりたいですね」

(編集部・深澤友紀)

AERA 2020年7月27日号