日本に帰った真美さんは、約300カ所ある義肢製作所すべてに手書きの手紙を送り、使わなくなった義足を提供してもらうよう協力を求めた。資金集めにも奔走した。
ルワンダで義肢製作所を開くと、評判を聞きつけた人たちが次々に訪れた。だが、日本で修業していたときとは違い、ルワンダでは材料も手に入りにくい。真美さんたちはある材料で工夫して義足を作り続けた。そうして現在までにルワンダで延べ8千人以上、隣国ブルンジで延べ3千人以上に義足や義手などを作って無償で提供。現地で義肢装具士も育成した。義肢製作の資金は、日本での講演やイベントなどで寄付を呼び掛けて集めたほか、義肢製作所の隣にレストランやゲストハウスを建てて収入を得ていた。
それが一変したのが昨年のクリスマスだ。その日、真美さんはガテラさんから初めて花束をもらった。以前、「花をもらったことがない」と言っていた真美さんの言葉を覚えていた夫からのサプライズだった。だが、幸せな時間は長くは続かなかった。数時間後には大雨で川があふれ、義肢製作所が浸水。赤いバラの花束も泥水に浸かって、枯れてしまった。義肢製作のための機材の被害はそれほどではなかったが、活動の資金源となっていたレストランやゲストハウスが壊滅状態になった。
年が明け、今年1月末にルワンダ政府から突然立ち退きを命じられた。この土地に水害の危険があることが理由だという。政府が用意した代替地は街から離れた山の頂上で、足の悪い人たちが来られないため、義肢製作所にはふさわしくない。「もう少し時間が欲しい」と政府側と交渉したが、その翌日にはショベルカーがやってきて建物を強制的に壊していった。真美さんたちは義肢製作に必要な機材を運び出すので精いっぱいだった。
現在のワンラブは自宅として借りた一軒家にあった物置を改装した仮設の作業所で細々と義足づくりを続けながら、ガテラさんが親戚から譲ってもらった別の土地に新たな義肢製作所を建てている。少しでも建設費用を安くあげるため、セメントを買ってきて自分たちでブロックも作る。
真美さんは資金を集めるために3月1日、日本に一時帰国した。講演会やイベントを100件近く予定していたものの、新型コロナの影響でほとんどが中止になった。大勢の人が経済的に打撃を受ける中、自分たちの活動を支援してほしいと呼びかけるのははばかられ、活動は追い込まれている。
短期間に次々と苦難に見舞われながらも、真美さんは気を落とすことはなかったという。