20年以上にわたってルワンダで義足や義手などを無償提供し続けているルダシングワ真美さん(中央)。現地で義肢装具士も育成している(写真:ルダシングワ真美さん提供)
20年以上にわたってルワンダで義足や義手などを無償提供し続けているルダシングワ真美さん(中央)。現地で義肢装具士も育成している(写真:ルダシングワ真美さん提供)
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真美さんとガテラさんが建てた義肢製作所はルワンダ政府による強制退去命令の翌日、ショベルカーで壊された/2月1日(写真:ルダシングワ真美さん提供)
真美さんとガテラさんが建てた義肢製作所はルワンダ政府による強制退去命令の翌日、ショベルカーで壊された/2月1日(写真:ルダシングワ真美さん提供)
ルワンダで陸上競技用車いすに乗るガテラさん。真美さんは「手に入れたとき、ガテラが本当にうれしそうだった」と話す(写真:ルダシングワ真美さん提供)
ルワンダで陸上競技用車いすに乗るガテラさん。真美さんは「手に入れたとき、ガテラが本当にうれしそうだった」と話す(写真:ルダシングワ真美さん提供)

 アフリカで延べ1万本以上の義足や義手を作ってきた日本人女性の活動が窮地にある。 でも、活動を止めることはない。これまでも困難を乗り越えてきたのだから。AERA 2020年7月27日号で掲載された記事を紹介。

【写真】ショベルカーで壊された義肢製作所はこちら

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 1994年に大虐殺が起きたアフリカ中部のルワンダで、手足を奪われた人たちのために20年以上も義足や義手などを無償で提供し続けてきた日本人女性がいる。神奈川県茅ケ崎市出身のルダシングワ真美さん(57)だ。これまでたくさんの困難に直面してきたというが、この1年は特に試練が続いている。洪水の被害や政府による義肢製作所の強制撤去。再建資金を集めるための講演活動も、新型コロナの影響で次々に中止となった。それでも「必ずや復活するので見ていてください」と笑顔で話す真美さん。活動の原動力となっているものは何か──。

 真美さんは、日本で働いていた89年に、「単調な生活から逃げ出したい」とアフリカ・ケニアへ語学留学した。そこで出会ったのが、のちに夫となるガテラ・ルダシングワ・エマニュエルさん(65)。紛争が続くルワンダから逃れてきていた難民だった。留学を終えて日本に帰った後も文通を続け、結婚した。

 真美さんが義肢づくりを学んだのは、右足が不自由になったガテラさんの装具を自分で作りたいと思ったことがきっかけだ。92年から約5年間、日本の義肢製作所で修業を積み、ガテラさんとともにNGO(非政府組織)「ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を設立。97年にルワンダに義肢製作所を開いた。

 ルワンダは、植民地支配によって民族が憎み合う構造がつくられ、94年の虐殺の際には100万人ともいわれる犠牲者が出た。ガテラさんは国外に逃れて無事だった。だが、1年後にルワンダを訪れた真美さんの目に映ったのは、鉈(なた)や斧(おの)で切り落とされたり、手榴弾(しゅりゅうだん)で吹き飛ばされたりして手足を失った人が町中にあふれる様子だった。義肢や装具の必要性を強く感じたという。

 プロジェクト名につけた「ワンラブ」は2人の大好きなミュージシャン、ボブ・マーリーの曲にちなんだものだ。ワンラブのホームページには「分けられてしまった国民が争うことによって、多くの血が流されました。そんな悲劇が2度と起こらないように願いを込めて、私たちは『ワンラブ─ひとつになって愛し合おう』と言う名前を付けました」と書かれている。

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